さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

【ゲーム批評】木こりシミュレーションゲーム「ゼルダの伝説 ブレスオブワイルド」。ここにちょっとした芸術「ちょい芸」を掲げる!!

お題「Nintendo Switch」

 

どうも!

 

最近「マイルドヤンキー」が気になっているシーズン野田です。

 

「マイルドヤンキー」が果たしてどういうものかは全く知りませんが、とりあえず「イオンモール」にたゆたゆ若者、

 

というような漠然とした捉え方をしています。

 

そこに「絵画といえばラッセンである」といった、芸術に対しての造詣の深さがただのヤンキーと同レベルである、という偏見も付け足しておきます。

 

ちょっと調べてみてドラマになりそうならば、シナリオでも書いてみようかな。

 

 

さて、タイトルどおり、ニンテンドースイッチについての感想をここに記しておこうと思います。

 

みなさん知ってますよね?ニンテンドウスイッチ。

 

wiiwiiUと続き、次世代機として発売された、任天堂のゲーム機です(当たり前すぎていいたくもないけど)。

 

据え置き機でもあり、携帯機ににもなるのが大きな特徴で、ジョイコンというコントローラーが、本体から外すことができます。

 

 

jp.automaton.am

 詳しく知りたい人は勝手に調べてください。

 

 

 

まず、新しいゲーム機が出るというのは、これは一つの文化的お祭りです。

 

しかも任天堂ソニーは日本の会社であり、世界が日本に注目する瞬間なわけです。

 

常に「なんでこんな国に生まれてしまったのだろう」と日々親を恨む毎日ですが、『youは何しに』を見ている時のような、日本は凄いのだ!外人ダセー!!お金の奴隷ダセー

という大和民族の誇りを取り戻し、気高い気持ちになれる瞬間でもあります。

 

最近のゲーム事情として世界では洋ゲーばかりがもてはやされ、和ゲーが下火になりつつある、という印象があります。

 

しかし!ここに来て和ゲーが再び世界を震撼させる時がやってきたのでうす。

 

どういうことかって?

 

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ゼルダの新作が出たからにきまってるだろうが、アホンダラ!そびえ立つクソどもめが!

 

 

おっと「フルメタル・ジャケット」の影響でついつい口が悪くなってしまいました。

 

Nintendoの最新ゲーム機「ニンテンドウスイッチ」のローンチタイトルとして数年ぶりに「ゼルダの伝説」が帰ってきたわけです。

 

その名もゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」

 

ゼルダシリーズ初の、オープンワールドです。

 

オープンワールドというのは、だだっ広い世界が広がる中で、自由にその世界を堪能できる、というようなやんわりとした理解でオーケー?

 

人によって捉え方も違うかもしれませんが、とりあえず、最近の大作ゲームの流行のジャンルです。

 

ちなみに、任天堂は使い古されたオープンワールドという言葉を使わず、オープンエアーと称してます。

 

そういった、少しでも違った角度の作品を生み出そうとする姿勢は素晴らしいですよね。

 

まぁ、自分はそれすらもう古臭く、オープンホモセクシュアルと呼んでいます。

 

自分はホモだとカミングアウトするほどに自由だという意味です。

 

こういったジェンダーネタもフルメタルジャケットの影響なのですいません。

 

といいながら、おそらく自分は買うことができずに、一生このゲームに触ることはないのではないか、と思っていました。

 

なぜなら、玉金を切り落とした糞ユダヤかってくらい貧乏だからです。

 

とてもじゃないけれど、新しいゲーム機とソフトを購入する経済状況ではありませんでした。

 

しかし、ここに来て吉報です。

 

弟がトイザらスに並んで買って来たに決まってんだろうが、このレーズン乳首のババア侍どもが!!

 

あ〜フルメルジャケットの影響、どうにかして!

 

普段は、部屋に閉じこもり、家族と交流することのない木偶の坊な弟が、まさかのどんでん返しで家族に貢献した瞬間です。

 

”ゲームは予約して買うものではない”という持論を展開し、

近所のトイザらスに限定30台で入荷したとき聞きつけた弟は「朝から並ぶ」という

コマンドを入力し、普段では考えられない行動力を瞬間的に発揮させ、

”引きこもりがポケモンGOで外に飛び出す現象”のプチバージョンを瞬間風速的に蘇らせたのでした。

 

その波に自分も乗っかる形で「土下座」というコマンドを入力し、

 

弟様〜日照りが続き不作ですじゃ〜どうか、どうか、ゼルダを、ゼルダ様の伝説をお恵みくだせー!

 

と泣きつき、呆れさせるという、兄らしからぬ方法で物乞いをしました。

 

「からなず充電をしながらプレイすること」

そして、

「コントローラを本体から外すときは、必ずボタンを押しながら慎重に外すこと」

 

という、任天堂を憑依させたイタコが言いそうな条件で、いやいや貸してもらうことに成功しました。

 

かつて発売日にゲーム機に触れるという「あの頃の夢」が、ようやく実現したのです。

 

実に感慨深い瞬間でした。

 

 

 

まず、本体を触った感じをお伝えすると、

 

最新ガジェット感がしっかりとある!という安心感です。

 

色々な不具合が報告されていますが、ものすごく感度もいいし、サクサク動くのでノンストレスでした。

 

まぁ、やってくうちに色々と扱いづらいことも出てくると思うのですが、最新ゲーム機!としての風情を、当たり前ながら感じることができました。

 

あと、意外に感動したのが、携帯機と据置機とのスイッチ感です。

 

発表されたときは、、、、外でやるならスマホでいいし、じっくり遊ぶならPS4でいいんじゃないの?これって何か新しいのかな?中途半端にならない?ねぇ、わかってるの任天堂さーーん?と、本社のある京都に向かってここでは書けないようなとっておきの罵声を投げかけていたのですが、その不安は机上の空論でした。

 

 

実際に触ってみると、今までにないような新しい体験に思えました。

 

 

 この世の中、実際にやってみると「おや?」と思うことがたくさんありますが、これもご多分に漏れず、見事に「おや??おやおや??」と嬉しい気持ちにさせてくれたのです。

 

男と女のハイブリットがオカマだとわかっていても、実際に会ってみると「オカマの威力が凄い事」に似ています。

 

今の時代、コンセプトや目新しさだけの分かりやすい新しさってなかなか創りづらいと思うんです。

 

天才がいない時代というか、わかりやすい売りが創りづらいというか。

 

「新しいという感覚」に代替されるのっておそらく「なんとも言えなさ」なんじゃないかって思うのです。

 

「違うけど同じ」で「同じだけど違う」そんな言葉にならない感覚です。

 

これが、ニンテンドウスイッチにも、そして、新作の「ゼルダの伝説」にも感じる事ができました。

 

今回のゼルダは本当に素晴らしい!!

 

もし自分の嫁が、今回のゼルダを妊娠したら、素直に「よくやった!」と言ってあげれえるレベルです。

 

例えば、何が凄いのか。

 

斧で木を切れるんです!!!

 

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は?斧で木を切れる?そんなの当たり前だろ?

現実でどれだけ森林伐採されていると思ってるんだ。のんきなやつだ。 

 

と思われる方もいらっしゃると思いますが、

 

これって、プログラミングさせたゲーム世界では、暗黙の了解として「それはできない」と感覚的に飼い慣らされてきた要素です。

 

しかも木こりシミュレーションゲームならまだしも、世界を救うヒーローの冒険モノで、なぜ、木が切れる必要があるのか? 

 

つまり我々は「これはゲームだから」という前提を持って、ゲームをプレイするわけです。

 

で、本作は、そのゲームをプレイする前提となる感覚をまず裏切ってくる。

 

え?普通できないのに、こんな事ができるの??なら、これも・・・できた!!

 

ってことが、多々起きるのです。

 

かつては、どこまでができてなにができないかという緩やかな了解が作り手とプレーヤーの間にありました。

 

しかし、その枠組みを大胆に超えてしまっている。

 

木を切り倒せ、その木が坂を転がり落ち、リンゴを矢で抜く事ができ、敵はこちらの爆弾を避ける。

 

ブーメランは自分で意志を持ってキャッチせねばならず、捕まえられそうな虫はしっかりと捕まえらえる。

 

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草が燃え、火が広がる。

 

というように。

 

普通ゲームは、目的を達成するためにはAをしなければならないというような、あらかじめ作り手の意思に、プレーヤーが並走することであたかも目的を達成したかのような錯覚をさせてきたのに対し、今作は目的を達成するためのルートがAもBもCもDもある状態。

 

作り手の意思がAだとしたら、BもCもDという選択肢は、神の意志だ。

 

今まで「まぁまぁゲームだから」でスルーされていた要素が、今作では再考され、「神の目線」が加わることにより、結果、プレーヤーへの自立を促す作りになっているのです。

 

制作過程でも、そんな解決策があったのか!!というようなことが多々あったらしい。

 

そういう意味では、一本道しかないような人生の中で生きる子どもたちが自立するための人生教材とすら言える。

  

人生、やり方はない。

 

目的を達成するためには大学に行く必要もないし、結婚する必要もない。自分で考え、生きることをどれだけの大人が教えることができるのだろう?

 

 

 

 

さて、その驚きは「ゲームだから」という優しいお約束をとっぱらったことにより、ちょっとした芸術に足を踏み込んでしまっている。

 

僕はこれを「ちょい芸(ゲー)」と勝手に呼んでいます。

 

はからずも、<純度の高い驚き>生み出し、芸術に足を踏み入れ、ちょっとした芸術作品になってしまっている、現象です。

 

だってこれ、インタラクティブアートだって、美術館においてあってもいいレベルですよ。

 

むしろ、インタラクティブアートなんて、これに比べたら全くアートじゃない。アートという枠組みがなければ、大方のそれらは、ただのさもしい机上の空論でしかないから。

 

映画や演劇などの他ジャンルが、いかにアートであるかのシンポジウムを重ねる中で、任天堂は、それらをあざ笑うかのように、というか、気にもせず、壮絶な娯楽を追求するあまり、芸術の域にまで昇華させてしまった。

 

大げさでもなんでもなく、任天堂64のソフトであるゼルダシリーズ時のオカリナ」が美術の教科書に載っていることからも、十分歴史にアートとして名を残す可能性を秘めている。

  

この程度の自由さだったら他のゲームにもあるよ、何興奮してるの?バカなの?本当に大学出てるの?なんだ美大か!専門学校じゃん!!

 

っておっしゃる方もおられるでしょう。

 

しかし、このゼルダが凄いのは自由だからではありません。

 

自由であり、しかもめちゃくちゃゼルダなバランスであるからなのです!

 

ゼルダという人気IPが今までのお約束をがらりとやめたにもかかわらず、古参のファンすらうならさ、しかも「これぞゼルダ!」と納得させる仕上がりにすることは容易なことではありません。

 

今までのゼルダとはまるで違うのだけれど、ゼルダでしかない。

 

「ここが新しい」「ここがちがう」みたいな事を大枠では言えないのだけれど、細部に宿る凄みと全体感の調和がおそらく驚異的なレベルで共存している。

 

全体としての威力みたいなものが、なんとも言えない新しい感覚を呼び起こしているのだと思います。

 

とまぁ、ここまで面白いといいつつも、僕はもうやりません。

 

なぜかって?

 

これ以上弟に借りを作りたくないからだよ!!