さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

ダッド   シーズン野田

子供の頃、鼻くそは何で出来ているのかを父親に訪ねた事があります。
父親は「ほこりがたまっているのだ」と僕に教えました。
けれども鼻くそは、ほとんどの人が食べた事があると思うのですが、しょっぱいです。
で、ほこりをなめてみると、確かに似た様なしょっぱさがあります。
けれども、僕は子供ながらに「それらは全く別の物である」と確信していました。
生まれて初めて父親に対しての懐疑です。



小学校の授業で、父親参加のレクリエーションがあったとき、大縄跳びのチーム戦が催されました。
一人一人、大縄を通り過ぎる度にカウントされ、子供の後に各々の父親が飛ぶルールだったのですが、必ず僕の父親は縄にひっかかりました。
誰もひかっからないのに、うちの父親だけどうしても縄を飛べないのです。
タイミングを全く掴めない父親の様子に、周囲はため息と哀れみと諦めと同情の気配に満ち満ちていましたが、僕はなぜかそのとき恥ずかしくもなんともありませんでした。
一人うけていました。
ふつーに引っかかり方が面白かったのです。




子供の頃、従兄弟家族とある滝に観光に行ったときのこと、水着姿でその滝に侵入する者が表れました。
誰かと思えば父親でした。
父親は周囲の目線などおかまいなしで滝に打たれ、大声をあげていました。
多くの観光客は戸惑い、周囲はため息と哀れみと諦めと同情の気配に満ち満ちていましたが、僕はなぜかそのとき恥ずかしくもなんともありませんでした。
一人うけていました。
当然のごとく母親は恥ずかしがっていました。
帰ると父親の肩には痣(あざ)が出来ていました。




先日、父親と赤坂のコージーコーナーで待ち合わせをしていました。
店に入ると、何やら慌ただしい様子。
奥の客席の方を覗いて見ると、何やら誰かが倒れて人だかりが出来ているではありませんか。
まさか…と思いましたがどうやら父親ではなかったということで一安心したのですが、それもつかの間、倒れたおっさんの頭に手を当てている人物に見覚えがあったのです。
父親です。
父親が、倒れて動けないおっさんの頭に手を当て「気」を送っていたのです。
そのときも僕は思わず笑ってしまいました。

父親はよく気を送るのですが、倒れたおっさんに気を送っているのは初めて見ました。
やがて、救急車がやって来て、倒れたおっさんは運ばれていきました。
父親の気が果たして効いたのかは分りませんが、その後お礼の電話がかかってきたことは記しておきます。




父親が死んでも僕は笑ってしまいそうです。