さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

中山ペンシル奇跡の勝利   シーズン野田

今日も編集していたら、こんな時間になってしまいました。

こだわり出すときりがないのですが、別にこだわっているわけではなく気になるところをなくすってことです。

レンダリング中にブログでも書いてやろうと思いまして、眠気眼でパソコンに向っているわけであります。



最近思うのは、時代ってモノに対して全体的に敏感過ぎやしないかってことです。

なんていうか、技術の進歩もあるし表現そのものはどんどん変わっていくのはあたりまえなことなんですが、時代がそっちにいくから、それがあたりまえなんだ、みたいなのはどうかと思っています。

アニメもやっぱセル画の方が断然いいんです。

けど、今は全部デジタルで発色がきつい。

サザエさんも最近そうですね。

「良かったモノ」を、時代が生み出す「当たり前」が、無自覚にも消し去ってしまうっていうのはもの凄い残酷だし愚かだって思うんです。

もちろん、デジタルにしていいこともたくさんあるはずだし、時代はそうなるべくそうなってるんだけど、じゃあ置き去りにしてしまった「良きもの」たちは、そのままでよいのかって話になると、ならないですよね。

良かったものをいかに残しながら、あらたな「良きもの」を作っていくってのが創造するってことじゃないだろうか。

なんとなくそこが欠けている気がするんだよね。

アニメ一つにしても、歯痒くなる。

別に、懐かしみたいとか、温故知新とか、単純に良きものを残そうとか、そういう回顧主義で言ってるんじゃなくて、全体的にそっちに行くことが当たり前だと思っていることが問題なんじゃないかっていう。


それは時代がもの凄いスピードで駆けているから、振り落とされない様に追いつこうとしているからなんだけど、その追いつこうとしている「時代」とやらは、本当に正しいのか。

ただただ、光ってデカイから目がいくだけの話なのじゃないか。

たちどまってふりかえったらウンコ踏みまくってたとかはそういうこともあると思うよ。

わからんがとにかくがんばって創って、発信してかなきゃな。



さて、先日このブログでもちらっと紹介した、市議会選挙に出馬した中山ペンシルさんがなんと見事に当選致しました!!

しかもトップで。

いやいや、完全に落ちると思っていましたが、奇跡ってあるんですね。

ウソウソ、信じていたよ。

中山先生にはもっともっと偉くなってもらって、市を担いで映画作りに協力してもらえたらと勝手に思っています。






PS.

12月28日にVJイベントに参加することは、既出でございますが、再度宣伝です。

もし盛り上がりたい方がいらっしゃいましたら、声をかけていただければディスカウントでチケットをお売りします。

よろしくどうぞ。


おやすみなさい。




不健康、極まれり!