さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

かけでガチガチ 野田

本日もジャグチTVをやったよ!

大喜利ツイッターに挑戦で、面白い人を毎回フォローしています。

もう少し体勢をしっかり、視聴者を増やす努力をしないといけないかなと思っていまが、まぁいいや。


最近は生活はシンプルなのですが、思考が複雑です。

何を考えてもまとまりがなくなるような。

現状を変えるには、現状を捨てるべきなのか、それとも、現状を踏まえるべきなのか?

どちらがいいかなんて、時間がたたないとわからんものですから、その常々「かけ」をしていかなければならない。

年齢を重ねるにつれ、それもなかなかしんどいくなっていくわけです。

あとは、信じるしかない。

ただちょっと思ったのは、

「FF14(知ってるよね)が不評であることを社長が認めた」記事があったけど

このゲーム、絶対大人数で作ってるわけです。

大人数でつくってるのに、なぜ面白いものができないのか?




様々な人の意見が反映されて、より深いものになりそうな気がしませんか。




けれども、実際は、不評であると(不評で何が悪いというのはおいておき)。

つまり、大人数で制作する悪い面が出てしまったと。

どんな悪い面なのでしょうか。

例えば、責任の所在が不透明になっているだとか、マージンを大きくとるが故に、うすまった個のない作品がうまれてしまったとか。

例えば一人だと、独りよがりになりやすいから良くないって意見もあるだろうけど、逆に突き詰めた表現ができるかもしれない。

つまり、どうなるかわからない。

駄目な場合、それはそうなり「がち」な話ってだけ、そうなり「がち」だから気をつけよう程度の事。

しかし、実際はこの「がち」に世の中は縛られて、

一人だとそうなりがちだからよくない、

とか

ポコンチが夏場にくさくなりがちだから、しっかり洗おう

とか、

悪い事ばかり見て、足下をすくわれがちなわけです。

「がち」を「ガチ」と捉えると、「ガチガチ」になって何も出来なくなる。

まぁポコチンに関しては「ガチ」ですけど、もっと自由でいいと思うんですがね。

そうなりがちなのは、ならないパターンがあるが故ですからね。



うん、長いね。

↑最近ハマってる菓子パン。

チョコパンが好きではない俺が好きになるわけだから、

未来なんてわかんネーゼ。