かけでガチガチ 野田
本日もジャグチTVをやったよ!
大喜利ツイッターに挑戦で、面白い人を毎回フォローしています。
もう少し体勢をしっかり、視聴者を増やす努力をしないといけないかなと思っていまが、まぁいいや。
最近は生活はシンプルなのですが、思考が複雑です。
何を考えてもまとまりがなくなるような。
現状を変えるには、現状を捨てるべきなのか、それとも、現状を踏まえるべきなのか?
どちらがいいかなんて、時間がたたないとわからんものですから、その常々「かけ」をしていかなければならない。
年齢を重ねるにつれ、それもなかなかしんどいくなっていくわけです。
あとは、信じるしかない。
ただちょっと思ったのは、
「FF14(知ってるよね)が不評であることを社長が認めた」記事があったけど
このゲーム、絶対大人数で作ってるわけです。
大人数でつくってるのに、なぜ面白いものができないのか?
様々な人の意見が反映されて、より深いものになりそうな気がしませんか。
けれども、実際は、不評であると(不評で何が悪いというのはおいておき)。
つまり、大人数で制作する悪い面が出てしまったと。
どんな悪い面なのでしょうか。
例えば、責任の所在が不透明になっているだとか、マージンを大きくとるが故に、うすまった個のない作品がうまれてしまったとか。
例えば一人だと、独りよがりになりやすいから良くないって意見もあるだろうけど、逆に突き詰めた表現ができるかもしれない。
つまり、どうなるかわからない。
駄目な場合、それはそうなり「がち」な話ってだけ、そうなり「がち」だから気をつけよう程度の事。
しかし、実際はこの「がち」に世の中は縛られて、
一人だとそうなりがちだからよくない、
とか
ポコンチが夏場にくさくなりがちだから、しっかり洗おう
とか、
悪い事ばかり見て、足下をすくわれがちなわけです。
「がち」を「ガチ」と捉えると、「ガチガチ」になって何も出来なくなる。
まぁポコチンに関しては「ガチ」ですけど、もっと自由でいいと思うんですがね。
そうなりがちなのは、ならないパターンがあるが故ですからね。
チョコパンが好きではない俺が好きになるわけだから、
未来なんてわかんネーゼ。