ブログ更新 シーズン野田
志の輔らくごを、拝見いたしました。
詳しくは書きませんが、しびれます。
落語そのものへのあこがれを感じずにはいられませんでした。
知っての通り一人で演じるわけですが、
その制約をもってこそ落語は自由であると言えるのではないかと。
いわゆるリアリティへ近づく事が、すなわち遠ざかる事になるというのはよくあります。
ドラゴンクエストも、ファミコン時代のあの記号的な表現だからこそ、人の家に勝手に入ってタンスをあけてもそれは「アリ」になるわけで、どんどんビジュアル的なリアリティが増すことで、これただの泥棒じゃない?って、疑問符がつき始める。
それと同じで、落語も一人だからこそ物語にあるていど破綻が起きても、さして問題ではないわけです。
これってもの凄い自由だなって思うんですね。
しかも、
落語家は常に、落語家であって、落語家でない「誰か」であるわけです。
その「誰か」はみる人に委ねられてる。
観客のサーバーを借りながら行き来する情報。
これってもの凄い今っぽいな!って思うんですね。
僕は偉そうにそんなことを考えていたら、噺を途中で見失いましたが、それでも、間や喋り口、切り取り方などを観察しているだけで興奮します。
すごいですねぇ。
ただ最後に流れた映像はどうなんだろうか…。
折角かっこ良く終わったのに少し残念な気持ちになりました。
次は僕らに任せてくれませんか?