さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

なんとかやってます。   シーズンノダ

よく「楽しそうで羨ましいわ!」なんて言われます。

どこにも属せず、友達同士で勝手気ままに好きなことをやっているという、

同世代最後の独身貴族なんて印象があるのでしょうな。



今までは

「いやいや、すんごい苦しいんですけど」

ってやっぱり訂正したくなっておりました。

いやだった話、苦労した話を延々と続けて行く。




サイコロには

<楽しかった話!>

って項目が出ていても、

「略して、たのばな〜!」

って全員が言っても

「先日、タイムホールに落っこちまして…」

なんて、ネガティブな話をしてしまう。




ね、結局僕らは「笑い」ってものに言及していて、

(まぁ「笑い」っていうとテレビ的なニュアンスが強いので「ユニーク」くらいにしておくけど。。どうでもいいけど、「ユニーク」って言葉の汎用性は凄いね。障害者の顔も「面白い」「笑える」何て言ったら怒られるけど「ユニーク」だったら大丈夫なんだもんな。まぁ「ユニークなことやってますね」って言われたらちょっとむっとするけどな、俺は。。そう言う意味では「ユニーク」もちょっと違うな。おおぉぉ〜駄文!)

で、笑いって自虐じゃないですか。

特に日本なんか。

だから、ネガティブな話になっていくわけです。




で、最後に「この人は駄目な人なんだな」

って印象を持たれて終わるわけです。


で、
これはよくないなって話になります。





どういうロジックか整理します。






太宰じゃないが、モノを作る人ってのは「恍惚」と「不安」が行ったり来たりして、まぁだいたいが「不安」なんです。

けど、その不安を不安のまんま吐き出すのはあまりに芸がない。それは、モノを作る上で一番注意しなきゃならないことだったりするんですね。

これはいろんな人がいっているけど、作品作りってのは言ってみれば「排泄行為」です。

自分をニュートラルにするいわば観念的脱糞行為で非常にフィジカルな欲求だったりする。

ただ、ウンコをウンコとして見せても人はあんまり感動しない。

みんな自分のウンコ以外許せないからね。

それがすんごい巻きグソで両手一杯に「みてみて〜」なんて持って来たら、ある意味感動するけど。




だから、磨いて磨いてつるつるにして、テッカテカの「ウン玉」にして世に出さんといけないわけです。


凄い作品は全部「ウン玉」ですよ。


だからね、僕はおばさんとか美術館で「わ〜カワイイ作品ね」って言ってるのを見ると

「ウンコだぜそれ?」

って笑いたくなるんですね。

いや、そんなにならないけど。



↓ちなみに昨日出会った素晴らしいウンコ。

イラストレーターの大河原君のウンコです。

彼はとんだ脱糞やろうです。





で、このウンコってさやっぱさ、生活の中に原料がある。

とすると、生活と制作ってのは切り離せないんでね。

生活=うんこ

ってなると、

不安を不安のまま見せるのは、ウンコをウンコのまま見せることに等しいなと思いまして、

それはやっちゃいけないなと思いまして、

あんまり自虐を武器に本音の不安をしのばせるのもよくないなぁという答えに行き着きました。

(後半「どろろ」並に駆け足でしたね。ウンコの例えがベタ過ぎでちょっと書いてていやになったので切り上げ!)


周囲の人たちが「楽しそう」と思ってくれるのなら、それにこしたことはないな、と。

「苦しそうなのに、よくやってるよな」

って言われるよりは遥かにマシだな(そういわれることもあるけど)。





だから、先生が「遊んでると思った」から、イジメを見過ごすってこともそりゃありますよ。