シャララーラ、シャラクサイ話 シーズンノダ
最近、
シーズン野田というこのふざけた名前を変えようかと思って来たのだが、名刺もこれで作ってしまった手前、しばらく様子見をしている、シーズン野田と申します。
何だがふと思い出し、色々考えたことをこの場を借りて書き連ねてみようと思いました。
別にいいよね?俺のブログだからな!!
数年前、とまぁかなり前ですが、僕の友達の弟が事故で亡くなりました。
そうそう、何で思い出したのかというと、最近交流のあるイラストレーターさんの個展の場所が葬式会場と近かったからっていう、場所と記憶ってのは密接ですね、っていう野暮な余談。
で、僕らにがウーロンもその葬式に参列しました。
なぜ僕らがその葬式に呼ばれたのかというと、
事故で亡くなった弟さんの財布から僕らのライブのチケットが発見されたんだって。
弟さんはにがウーロンが好きだったってことで、きっと最後見送る時ににがウーロンが来たら嬉しいだろうって、そう言われて、そらまぁ行きますよね。
俺等みたいなもんが、、って常に思ってますからね。
一応、僕らの駄作ばかり集めたしょうもないDVDを棺桶の中に入れてもらおうと思って持参しました。
けれども正直な所、一度も面識がないし、その友達とも別にそんなに仲が良いわけでもなく、あまりピンと来てない自分がいました。
これはメンバーみんなそうだったと思うんです。
こういうのも不謹慎だけど、あまり実感ないし、誰かを失った喪失感とか、そういうのも皆無。
やっぱ会ったことないからね。
けど、順が周り、お焼香したとたん何かが込み上げてきた。
場に飲まれたのかね。
泣きながら寿司食ってんの。
もちろん、他のメンバーは泣いてないよ。
俺だけいい人だから泣いてるんだろうね、まぁ、寿司は食ってんだけどさ。
で、思ったんだけど
にがウーロンが好きで持っていたであろうチケットが、その人を通して自分たちに返ってきたような気がしたんですね。
自分達がライブをやったり、映画作ったり、何かを発信し続けるのは、
お客さんに何かしらの感触を与えたいって欲求なんだろうけど、
けど最終的には誰かの目を通した末に戻ってくる、自分等への眼差しなんだろうなって。
つまりさ、他者への言及はそのまま自分に返ってくるものでなければならないから、他者に届いた様に見えても、自分に返って来ない表現は、ずれてるんだろうなぁと思う。
すなわち、他者にも届いてない。
にがウーロンが好きなわけじゃなく、ただ財布に入れっぱなしで捨て忘れてただけのチケットかもしれないんだけど、まぁ多分そうだと思うけど、その偶発的な不意打ちが、まだこのままやって行こうかな〜なんて呑気な事を数年越しに思わせました。
みんな色々言いますよ。
社会の申し子たちが、色々やってきて、金の斧か銀の斧か突きつけてきますよ。
けど言ってやりますよ。
「僕が落としたのは、シリコンバイブです!」
ってね。
全く伝わってないだろうけど、
ついてこ〜い!!
その時、がんばっていこうな!ってなってたシャッターチャンス龍崎は、さっさとにがウーロンをやめてしまいましたがね。