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さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

酷評シネマ「ローマでアモーレ」

映画

ウディ・アレン…あれン?どうしちゃったの?

 

と言う駄洒落が今回のブログの大意であると言っても過言ではない。

 

という、無理矢理のエクスキューズでもって、読者様をお出迎えしましたは、シーズン野田でございます。

 

普段は、舞台をやったり映像作品を作ったり、絵を書いたり、脚本を執筆したり、音楽をやったりと、まぁ、とどのつまり「何もやってない人間」でございます。

 

さて、今回のやり玉映画は「ローマでアモーレ」

 

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ちょっと前に流行った「だて眼鏡ブーム」の火付け役とも言えるウディ・アレン監督の最新作でございます。

 

知ってます?ウディ・アレン

 

自分が初対面の相手とのフィーリングバロメーターとしてよく使うのが、出身地と年収と、ウディ・アレンを知っているかどうか、です。

 

は?知らない人いるの?

 

と半信半疑な、映画のカメラをきちんと「キャメラ」と発音する映画通の方もいると思いますが、これがけっこう知らない人がいるんです。

 

確実にうちの妹は知りません。

 

知っていても、

「ああ、内縁の妻の養女に手を出したチビ親父ね」

という偏った認知の人がほとんどで、

「頻繁に映画を撮っている大監督」であること教えれば、「ああ、三池崇」か、というわけの分からない誤解で納得する輩ばかり。

 

 

 

 

 

だから、もしこれを機にウディ・アレンを知った方がいれば是非とも、黒ぶち眼鏡をかけて、ゲオに行き、

 

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こんな顔をして店内をウロウロしてみましょう。

すぐに察して、アレンの作品のありかを教えてくれると思います。

 

自分がこの、小さいおっさんブームの火付け役とも言えるウディ・アレン監督を好きな一番の理由は、こんな冴えなそうなキモカワ男でも才能があればモテまくるということを教えてくれたことです。

 

あと、映画が面白い事です。

 

とくに彼が出演している映画なんて、もう彼が画面に出てるだけで、幸せな気分になります。

「犬がクビを撫でられている時みたない顔をしながら観ていたよ」と言われたので「きゃんきゃん」と言いながら、彼女に甘えた苦い記憶など、一切ないことにほっとしていますが、多分ずっとニコニコしながら観ているんだと思います。

 

僕の中でニコ動と言えば、ウディ・アレン出演作なのです。

 

自分は、北野武や、野田秀樹が大好きなのですが、演出家が主役もやっちゃうという自意識に魅せられているのだと思います。

だからか、たけしや野田秀樹が出ない彼らの作品は、おもしろいけれど、そのパワーが半減しているように感じてしまう。

自分で作って演じる欲求って誰でもあるだろうし、それってなかなかうまくいなかない難しいことなのに、それを成立させて、しかも自分が一番目立って、美味しい所もっていくガラガラヘビをやってしまうという、普通ならそんな自意識持ち合わせていないですよね。

 

だから、芸人さんたちも凄いと思う。

自分らでつくって出演するということをずっとやっているという言い逃れのできない状況を常に提示しているのだからね。それを好きでやっていると言うね。

天才ですよね。

ウディ・アレンももともとコメディアンで、そういう資質があるのかもしれない。

 

、今回の「ローマでアモーレ」も久々のウッデ・アレン出演作品なので、こりゃ期待大なわけです。。2006年の『タロットカード殺人事件』以来の出演作か。

この間、やっぱ観てなかったからね、彼の映画は。

 

だからスクリーンに登場したとたん、大向こうから「よ!待ってました!ご両人!たっぷりと!」なんて声かけて「ずるい!私にも、たっぷりと」となんて彼女に言われて、そのままやっちゃうなんてことは残念ながらありませんでしたが、そのくらい画面から崇高な輝きを放っておりました。

 

もともと濡れ雑巾みたいな見た目がさらに老いぼれて、からぶき用の雑巾みたいになってはいましたが、

自分は無神論者だの、社会主義者は嫌いだのと、お試しごとを早口でほざく、いつもとかわらぬウディ節!

 

2丁目のオカマに「やだぁ〜ウッディーブシィィィ!」

と言ってもらいたい程嬉しいです。

 

とくに彼の演技で好きなのは、何かを閃いたときや、困った様なとき、あるいは相手に同意を促すときなど、オンじゃないときの表情です。

 

鳩が豆鉄砲を食らったと思いきや、あれ、これリアルな鉄砲じゃない?みたいな、すっとんきょうな顔をするのですが、これがシーン終わりのカットにくると最高です。

 

ようは「ウケ」の顔。

この顔のカットが、次のシーンにぱっと切り替わった瞬間に笑いが起こるわけです。

何かを言おうとした瞬間、浜ちゃんに「ハイ次〜」と言われる若手芸人の面白さと似ています。

 

この妙に無表情で、3フレームくらい間が持たない感じの「アレ?どうしちゃったの?」と思った矢先の編集での突っ込み。

 

それが今作にも見受けられて(多分あった様な気がしている)これこれ!って、もし自分が面接官だったら、確実に受かったと勘違いさせてしまう程に、うなずいていました。

 

さて、ここまでほとんどウディ・アレンの話ばかりしかしておりませんが、肝心の映画の内容はどうだったのか。

 

もうココまで書いて内容なんてどうでも良い事が分かりますが、皆さんが観たくなるように筆を進めていくのなら、とにかく役者が豪華でることを記します。

 

ロベルトベニーニは上手だし、エレンペイジはあいかわらず痛い女をやらせれば最高だし、マークザッカーバーグも今回はSNSの殻を破り建築家として出演しているし、しかもしかも、ウディ・アレンが出てるんです!!!

 

いやぁまたウディ・アレンに戻ってしまいましたが、この映画、4つの群像劇で構成されており、それらは一切絡む事なく終わっていきます。

 

舞台はローマ。

 

冒頭、交通整理をしている狂言回しの警官が「この町では全てが物語」と宣い、登場人物を紹介していくわけですが、その物語が、まぁゆるい。

 

もちろんそれがウディ節であり、2丁目のオカマに「やだぁ〜ウッディーブシィィィ!」と言ってもらいたい程なのですが、今回は特に「ナンセンス」が際立っているように感じました。

 

ナンセンスってのはつまり、開き直り芸とも置換えられるのですが、とにかく大した理由やルールもなく話が進むのです。

 

まるで「展開させます」と宣言して展開していくその様は、潔くもある。

 

ロベルトベニーニ担当の部分なんかはとくに顕著で、毎朝7時に起きる平凡なある亭主が、ある日パパラッチに追いかけられ始める。ニュースにまでよばれインタビューを受ける。

けれども理由が判然としない。

全く心当たりがない中で、有名人としてチヤホヤされ始め、女にモテまくる。

けれどもあまりに窮屈な毎日に、辟易し、専属の運転手にどう言う事なんだ?なんで自分は有名なんだ?と問いつめると「あなたは有名な事で有名なんです」だって。

 

別に何もないの。

 

けれどもこの何もない抽象度の高い話が、群像劇の中に入り込んでくると、他の3つの物語のテーマそのものの骨組みを成している様な気がして、しかもそれを並列に描いているから、全体的に何でもありなムードを作っているわけ。

 

だから、けっこうウディ・アレン担当部分とか、ぶっ飛んでるんだけれど、これがまぁめちゃくちゃ面白いし、普通だったら、そりゃないわ…って部分がちゃんと笑える。

少なくとも僕は爆笑しましたからね。

この物語だけだと、ここまで笑わなかったかも知れない(いや、笑ってるかも)。

当人達がいたって真面目であることがまた笑えるのだけれど、それだけだと笑える空気を作りづらかったりする中で、夢か幻想か回想かよくわからない物語をそれと断定する事なく、うまく混ぜこぜにして妙なバランスを保っているから、「そんなことあるわけねーよ!母ちゃん酒もってこい!」とはならないで観れる。

 

あと、売れない演出家としてウディ・アレンが出演していることもポイントかもしれない。マッチポイントかも知れない。

 

もう自分が老いぼれで、葬儀屋を出したりして死を予感させたりしながらも、まだ死なないとと意気込んでいたり、また「養女」がどうだと他の役者に言わせてみたりと

その開き直りみたいなものおかげで、よけいに、ウディ・アレンまだまだ健在じゃねーか!!と思えるし、腹割って話してもらえているような感覚になり、だからか全部アリの何でもありになっているのかも……

 

なんて御託を並べましたが、多分僕が、ウディ・アレンが好きだからなんでもありの超OK!なだけに過ぎないだけな気がしますが、とにかくおすすめですので手に取ってください。

 

 

 

↓観たくなった人は押して下さい。観たくならない人もどうぞ。


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