さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

酷評シネマ「オレンジと太陽」

黒いヤギ、鉄コンで殴る、黒柳徹子

 

という駄洒落を思いつき、頭突きの方がパワーがあるのではないかとアドバイスをしたいシーズン野田です。

 

すっかり、ブログの更新頻度が下がり、まるで橋下徹ばりの<最初の勢いはどうなった状態>ではございますが、橋下徹もがんばってんじゃん!許してやってよね!

 

 

 

さて、見事に議論をすり替えたところで、今年発足した、

<映画を見まくろうプロジェクト!「ミマクロード・ヴァンダム」>の話。

 

最近あまり観まくれておらず、楽しみにして下さっております5兆人の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、替え玉をしまくるなべやかんよりはマシだと思って、どうか大目に見てやって下さい。

 

今回のやり玉映画は「オレンジと太陽」

 

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オレンジと太陽のどちらが先に、旅人の上着を脱がせることができるかを勝負し、オレンジが果汁をしぼりにしぼって旅人にぶっかけて服を脱がそうとするのに対し、太陽は燦々と照りつけて脱がそうするのだが、果汁でべっとべっとになり上着が体にへばりついて脱ぐ事ができず、両者引き分けになる話だと思ったあなた、イソップをライフスタイルに組み込み過ぎのキライがあるのでご注意下さい。

 

この作品は、そんなイソップ要素はゼロのシリアスなお話で、

 

(シリアスって、尻アスホールから来ているのかな?)

 

イギリスが19世紀から1970年まで行っていた、強制児童移民を明らかにしていきます。養子として送り出された子供達がイギリスからオーストラリアまで舟でエンヤコラと送られていたという事実を掴んだ主人公のマーガレット(養子に出された人たちをサポートするソーシャルワーカー)が、移民にさせられ今では<成人となった児童>たちの声を聞きながら、自分の家族を犠牲にしてまでもその実体を暴き!そして、彼らの母親を捜していくという史実に基づいた感動作。

 

身よりのない子供を労働者として育てるためという建前で、イギリス政府の承認のもと、教会や慈善団体が実施していたのだという。だがその実態は児童虐待以外の何ものでもなかった。。。。

 

さて。

 

もちろんそのような事件を、いまだに地球がまわっているのか宇宙がまわっているのかわからないクソバカな僕は知らないわけですが、まず、このように史実に基づいた作品ってのは、歴史の教科書としての価値があるのですが、そういう意味では何故このような事が行われたのかという部分がイマイチぴんとこないので、その出来事の経緯みたいなのはもう少し描いた方が良いよと、クソバカな監督に言っておきたいです。

 

前半寝てたから見逃しただけかもしれませんが。

 

監督は、ジム・ローチ。あの、ケン・ローチの息子でなんとこれがデビュー作、って宮崎五郎はは何をしとるんじゃ!!と言いたいくらいので出来映え。

 

たまに親父が現場に口を出しにきていたらしく、その辺も宮崎親子。

 

スタッフもローチが二人いるもんだから、「ローチ…あ〜どっちだっけ。ローチどっち〜?」なんて、いちいちめんどくさかったことでしょう。

 

しまいには、「ロリコン」と「ゲボ戦記」で区別させられたりして、その辺も宮崎なのですが、

話を戻すと、確かにもうちょい成り行き、例えば政府側がなぜそのような政策をとったのかを、描いて欲しいと思いつつ、それでも子供の頃に移民させられて、虐待されていた事実を淡々と時に涙を流しながら、言葉を詰まらせ、告白するあたりでは、なんだかつらい気持ちになり

 

「これは、俳優。ただの俳優。監督の指示のもと泣いているだけで、悲しいわけではなく、むしろギャラがもらえるとあって喜んでいる涙だ…。そうだ、そうに違いない!もしくは、これはなべやかんが替え玉を告白しているシーンなのだ」

 

と、自分に言い聞かせ、つらさを紛らわせながらでないと観れませんでした。

 

かといってこの映画、全員がメソメソしているわけではないのです。

 

どちらかというと頼もしい人が多い。

 

会えないと思っていた母親に会えたのに、抱き会って号泣したりするバラ珍みたいなシーンは一切描かれていないんです。

 

普通、そういうのありそうじゃないですか。

島田紳助のようにしゃくれ泣きしながらヤクザとゴルフして「ファ〜やん」とか言ったりするような人が出てたっていいじゃないですか。

 

けどしないんですねぇ、そういうクソ邦画ビッチのようなことはね!!

 

多分、彼らは彼らなりの「過酷な場所を乗り越えてきた自負」みたいなものがあるんだと思うんです。

 

金持になって、虐待を受けていた教会に寄付して何も「いわせーねーよ」的存在になっていたり、子供の頃床磨きばかりやらされていた女は、今でも楽しそうに床を磨いていたり、彼らなりのテーマや価値を人生に見いだして生きてきたのだと。

 

本当にその場で彼らの声に耳を傾けていたマーガレットも、さぞかし、つらかっただろうに、実際、劇中でも彼らの痛みに同化して、PSDにもなったりするが、なのに、時に泣きながら、髪の毛が抜けながらも、「やめたい」だなんて禁煙パイポみたいな事は一切言わない。

 

実の息子に「僕はおかあさんをプレゼントした」なんて言わせてしまうほどに、自分の家族に寂しい思いをさせながらも、それでも、自分がやらなきゃ誰がやる、という誠意と使命感に突き動かされて、孤児たちの「自分が何者なのかわからない喪失感」に向き合いながら、彼らの母親を探していくんです。

 

自分が何者なのか分からない養子組も、また、確固たる自分を持ち始めている彼女も、両方じつにたくましい!!

 

そんな彼らをみていると、俺は一体何者なんだろう?とふと考えてしまうのです。

 

幼い頃、乳首が陥没していた乳首をみながら「死にたい」と思っていた肥満児を、タイムマシーンがあったらポカリと頭を殴りに行ってやりたい気持ちになりました。

 

ラスト、マーガレットは児童移民受け入れ先のカトリック系の教会に足を踏み入れます。

それは、そこで起こった、例えば性的な虐待や過酷な労働の話を聞きまくってお腹パンパンゲボ吐き状態の彼女が、ずっと避けていたことだったのです。

けれども移民被害者のハンサム担当の男、レンに説得させられ、荒涼とした大地にそびえたつその教会に訪れ、聖職者たちと対峙する。

 

実に映画的な流れで、僕の中では

<乗り込む>=『魍魎の箱』(原田眞人監督)

で、これがバカクソな駄作なのですが、完全に「オレンジと太陽」に取って代わりました。

 

そして、オロオロする神父さん達をみて、マーガレットはこう言います。

「あなた方は、私を恐れているのですね?
 恐れる必要は、ありません。あなた方は大人なのですから。」

 

って、キリッといいます。かっこいいです。

 

これがアメリカ人だったら

 

「あなた達は、私を恐れる必要がないって言うと、「どうしてだいって?」聞き返してきたんだ。だから私はこう言ってやったのさ。あなた方は大人なのだから、ってね!!」

 

と間違ったウイットで台無しにしていることでしょう。だからアメリカ人は嫌なのです。

 

 

今でも、彼女の発足した『児童移民トラスト』の活動は続いています。

 

素晴らしいじゃないですか。

 

ということで、マーガレット・ハンフリーズさんに「シーズン野田賞」を送らせていただきます!!よかったね!

 

この映画、93点あげちゃう!

 

 


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