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さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

セブンイレブンの出しにくさ

今週のお題あなたとコンビニ

 

 

あなたとコンビニ」と言えばCM的に言うとファミリーマートだが、

 

コンビニ会の王としてその名を轟かせているのは言わずもがな「セブンイレブン」であることは言うまでもない。

 

当初は朝7時から夜11時まで営業していたから「セブンイレブン」だったのが、24時間体勢になった今、<セブン>と<イレブン>で韻を踏む遊び心がただの駄洒落として形骸化しているのがなんとも歯がゆいコンビニとして浸透しているが(別に歯がゆくねーけど)、

セブンプレミアムなるブランドの付いたお惣菜やお菓子、カップ麺は、その業界じゃ頭一つ飛び抜けており、他の追随を許さないほどの美味しさだ。織田裕二が自分のものまねをを許さないのと、互角のパワーを持っているからかなりのものといえる。

 

少し前のコンビニといえば、高くてまずい、おでんの臭いが充満している、「あたためますか?」をネタにされる、男子高校生が軒先でからあげを食べている、お箸とスプーンをたまにつけ忘れる、添加物まみれ、蛾が寄ってくる、など散々であった。

 

がしかし、今では「高い」と「まずい」のみがかなり改善されている。

 

ま だまだ改善の余地があるとはいえ、<軒先でからあげを食べている男子中学生>に関しては、彼らを抹殺するしかそれを排除する方法はないから、仕方のないと ころだろう。まぁ彼らが入り口を塞いでいる時だけは、そこに電流を流して撃退する「©大仁田厚」を取り入れ、愚行には愚作で対処してほしいと思うが、とに かくその改善には目を見張るものがある。

 

食べ物だけではない。

 

歯ブラシや洗剤やトイレットペーパーなどの生活品の類いですら、セブンイレブンのブランド商品が数多く並べられ、割安なのでついつい買ってしまう。

今までのコンビニ感覚ではありえないことだ。

セブンの人たちは相当頑張って会議とかしてるんだと思う。毎日会議、それこそ朝7時から夜11時くらいまでやっているのではないだろうか。それこその意味は分からないがまさにウルトラセブンである。

 

 

 

 

小売り業界の根幹を揺るがしかねない!というバカでも言えることを偉そうに言う気はないが、その凄さが故に、我思う所ひとつあり。

 

 

 

 

セブンイレブンはJPOPになりづりらい。

 

 

 

 

 

全てを包括せんとする、まるでセルの様な完全体への執拗な言及や佇まいがあまりに現代的で、歌詞に潜む「奥ゆかしさ」からあまりに遠い気がするのだ。

 

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例えば、コンビニが出てくる猿岩石の名曲、その名も『コンビ二』の歌詞で、

 

近くのコンビニで


真夜中過ぎに出逢った


洗い髪の君に


僕は恋したのさ



 

とあるのだが、このコンビニがどうしても「セブンイレブン」とは思えない。

どちらかと言えば、ローソンとか、スリーエフな感じがする。

 

 

他にもファンモンの『MY HOME』という曲の歌詞で、

 

お袋の温かい手料理から コンビニのお弁当
狭い部屋の中で探した 電子レンジのコンセント
夢に見た生活もなし崩し 無計画さは親父譲り
勢い任せの一人暮らしは 寂しくて枕を濡らした

 

とあるのだが、ここにでてくるコンビニのお弁当も「セブンイレブン」とは思えない。セブンイレブンの味はお袋の味と同等、いや、それを凌駕する程のクオリティーだから、なにも寂しいことなどなく、枕を濡らす必要など全くないのだ。

 

40歳の激イタおばさんこと、YUKIにいたっては、

 

待ち合わせはローソンで

おにぎりを2つ買って家

 

と『二人のストーリー』という曲の冒頭からはっきりと「セブンイレブン」ではないことを表明している。

 

 

 おそらく、今のセブンイレブンには情緒がないのだろう。

完璧すぎたブランド力のおかげで、ただただその恩恵にあずかることのみに消費者との関係が単一化されるから、その他の可能性を含んだ<余剰>がないのかもしれない。

 

もし、ひとたび歌詞に「セブンイレブン」などと入れ込んでしまえば、その後は、セブンプレミアムの凄さを語るだけの歌詞が羅列され、話がそれていく。

 

先ほどの、激イタおばさんの書いた『二人のストーリー』という曲の冒頭を、

<ローソン>ではなく、<セブンイレブン>にしたとたん、

そこで買った2つのおにぎりは、「日高昆布」なのか、

はたまた「やみつき!ゴロッと 焼豚炒飯おむすび」か、

100円セールの時に買ったとしたら、いつもは買わない高めの「ふっくら焼つくね おむすび」なのか?

と、ユーザーはもやもやしたままになってしまう。

 

そのくらい、セブンイレブンは現代人の第一義的存在となり、人々のドラマをアシストするものではなく、存在そのものがドラマであり自己完結してしまっているのだ。

 

「ディズニーランド」が「さびれた遊園地」より映画にならないのと同様、セブンイレブンも歌詞にはなり得ない。唯一CMの「セブンイレブン いい気分」という駄洒落の効いたコピーに付いたあのメロディーだ以外にはね。