さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

カレーは飲み物なのか?

今週のお題「飲み物」

 

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「カレーは飲み物である」で有名なウガンダトラさんが亡くなって久しいですが、この名言を公式で表記するとしたら、

 

カレー=飲み物

 

となりますよね。

けれども、

 

飲み物=カレー

 

になると、飲み物はカレーしか飲まないインドな奴になってしまいます。

 

いろいろな飲料水があるなかで、ちょっくら喉が渇いたら、買ってくるのがカレーなのです。

 

「おれ、飲み物かってくるけど、何かいる?」

 

「お前と一緒でいいよ」

 

なんて言ったら最期、どろどろのカレーで「ぷは〜」といかなければならない事もあるかもしれません。

 

 

それはおそらく、ウガンダさんの真意ではないはず。

 

 

「カレーは飲み物である」は、「カレー=飲み物」という公式では表せていないのです。

 

おそらくこれは、極論です。

 

極論とは、極端な言い方や論じ方のことす。

 

思えばこのような極論は、世の中に溢れています。

 

例えば、「今日朝から何も食べてないんだよね〜」と言う人がいますが、実際はちょっとしたウエハースを一齧りしている場合がほとんです。

 

けれども「何も食べてない」という極論で、相手にストイックさをアピールする事ができるし、逆にいちいち「ウエハースは食べた」と言った所で、それはそれで相手にノーカウントでもいいんじゃない?と、

「カロリーゼロって書いてあるけど、実際ゼロじゃないわけだし」

と、いちいち気の利いた事を言わせるはめになる場合があるので、得策ではないのです。

 

他にも、

「死ぬかと思った」と言う人のほとんどが、死ぬかと思ってないなかったり、「愛していると」言う人が、本当の愛をしらなかったり、するわけです。

 

ただ、「言ってしまえば全てが極論」である、という<極論>をここで振りかざしてみます。

 

なぜなら、どこかの感情(それはウエハース程度かもしれないが)を切り捨てて、一つの「言葉」として現出させているからです。

 

「好き」という言葉の背後には、あまりに多くの感情が、それは「嫌い」を含めた場合もあるほどに、孕んでいるのです。

 

つまり、言葉の前にはかならず「どちらかというと」という枕詞が付帯しています。

 

(どちらかというと)朝から何も食べていなくて、(どちらかというと)死ぬかと思って、(どちらかというと)好きなだけです。

 

ウガンダさんの名言も、「(どちらかというと)カレーは飲み物である」であるだけで、極論を用いて「カレーは飲み物である」といいきっているだけの話。

 

 

ただ、

「どちらかというと、カレーは飲み物である」何て言ったら、

「いや、どちらかというとカレーは、食いもんだろ!」と突っ込まれ得る可能性が大いにありますから、

 

「カレーは飲み物なんだよ!」

 

と、迷いなく、切り捨て表現するしかありません。

 

だから変に説得されて、名言になるんでしょうけどね。

 

数式で表記するには、切り捨て過ぎなんでしょうね。

 

 

しかし、言葉ってのは、デジタルなんですね。

 

感情がアナログ、だとしたら、言葉デジタルで、デジタルは極論であるといえます。

 

あまり、人の言葉に惑わされずに生きていきたいものです。

 

言葉=デジタル=極論

 

なんだから。

 

 

まぁ、どちらかというとだけど。

 

 

 

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