カレーは飲み物なのか?
今週のお題「飲み物」
「カレーは飲み物である」で有名なウガンダトラさんが亡くなって久しいですが、この名言を公式で表記するとしたら、
カレー=飲み物
となりますよね。
けれども、
飲み物=カレー
になると、飲み物はカレーしか飲まないインドな奴になってしまいます。
いろいろな飲料水があるなかで、ちょっくら喉が渇いたら、買ってくるのがカレーなのです。
「おれ、飲み物かってくるけど、何かいる?」
「お前と一緒でいいよ」
なんて言ったら最期、どろどろのカレーで「ぷは〜」といかなければならない事もあるかもしれません。
それはおそらく、ウガンダさんの真意ではないはず。
「カレーは飲み物である」は、「カレー=飲み物」という公式では表せていないのです。
おそらくこれは、極論です。
極論とは、極端な言い方や論じ方のことす。
思えばこのような極論は、世の中に溢れています。
例えば、「今日朝から何も食べてないんだよね〜」と言う人がいますが、実際はちょっとしたウエハースを一齧りしている場合がほとんです。
けれども「何も食べてない」という極論で、相手にストイックさをアピールする事ができるし、逆にいちいち「ウエハースは食べた」と言った所で、それはそれで相手にノーカウントでもいいんじゃない?と、
「カロリーゼロって書いてあるけど、実際ゼロじゃないわけだし」
と、いちいち気の利いた事を言わせるはめになる場合があるので、得策ではないのです。
他にも、
「死ぬかと思った」と言う人のほとんどが、死ぬかと思ってないなかったり、「愛していると」言う人が、本当の愛をしらなかったり、するわけです。
ただ、「言ってしまえば全てが極論」である、という<極論>をここで振りかざしてみます。
なぜなら、どこかの感情(それはウエハース程度かもしれないが)を切り捨てて、一つの「言葉」として現出させているからです。
「好き」という言葉の背後には、あまりに多くの感情が、それは「嫌い」を含めた場合もあるほどに、孕んでいるのです。
つまり、言葉の前にはかならず「どちらかというと」という枕詞が付帯しています。
(どちらかというと)朝から何も食べていなくて、(どちらかというと)死ぬかと思って、(どちらかというと)好きなだけです。
ウガンダさんの名言も、「(どちらかというと)カレーは飲み物である」であるだけで、極論を用いて「カレーは飲み物である」といいきっているだけの話。
ただ、
「どちらかというと、カレーは飲み物である」何て言ったら、
「いや、どちらかというとカレーは、食いもんだろ!」と突っ込まれ得る可能性が大いにありますから、
「カレーは飲み物なんだよ!」
と、迷いなく、切り捨て表現するしかありません。
だから変に説得されて、名言になるんでしょうけどね。
数式で表記するには、切り捨て過ぎなんでしょうね。
しかし、言葉ってのは、デジタルなんですね。
感情がアナログ、だとしたら、言葉デジタルで、デジタルは極論であるといえます。
あまり、人の言葉に惑わされずに生きていきたいものです。
言葉=デジタル=極論
なんだから。
まぁ、どちらかというとだけど。
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