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さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

オカンと祖母と、最後はオトン。

今週のお題 家族

 

今週のお題「お母さん2014」

 

アイドルイベントを取り上げたり、ただいま大ヒット中「アナと雪の女王」に触れてみたりするだけで、当ブログのアクセス数がいつもの倍になりました。

 

毎回5兆人しか見ていないブログなので、そもそもアクセス数など全く気にしないのですが、あまり増えすぎてもサーバーサイドからおしかりを受けるだけなので、今回は減らす方向で内容を更新したいと考えています。

 

 

 

さて、はてなブログ側から出された、今週のお題「お母さん2014」。

 

母の日だからでしょうが、見事に、アクセスが減りそうなお題です。

 

 

 

先日、ぼそぼそで死にそうな祖母のお見舞いに行った事を、ここで書いたのですが、(これねhttp://nigaoolong.hatenablog.com/?page=1398873952)、先日とうとうミッションコンプリートしてしまいました。

 

享年88歳でした。

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↑自宅から運ばれる、祖母。

 

とても上品でハイカラな祖母で、僕の事を「ベビちゃん」と呼びかわいがってくれました。

 

美術館に行くの大好きで、

 

「あなたは芸術家なのだから、世間の事など気にしなくていいのよ」

 

と、悩んでいる自分を励ましたりしてくれる存在でした。

 

気にしないあまり、このようなならず者になってしまったのかもしれまんがね。

 

結果彼女にふられるわけです。

 

その話はまた今度!!

 

 

 

晩年は認知症になり、僕の存在など、まるで最初からいなかったように忘れていました。

「最初からいなかったように」という点においては、スマップの森君と並列です。

 

そもそも「認知症」と言うのは、認知ができないという症状なのだから、「不認知症」という呼称にした方が誤解がないのではないか、

熱弁する僕を珍しそうに見やる祖母の姿が今でも脳裏に焼き付いています。

 

2年前はまだ、森君にはならずに済んだのですが、このたった2年というのは、老人にとっては一気に老け込むには事足らない期間で、老人になった浦島太郎がさらに、玉手箱を開けてしまったような老け込みようです。。

 

 自分は2年前と何も変わってないと思っていたのですが、成長し進化する姪っ子や、衰弱し退化する祖母と触れ合う時だけは、自分も時間に運ばれているような、そんな感覚になりました。

 

子供と、老人の2年は大きいのです。

 

 

 

告別式の日、僕の中には以前から少し意識していた不安(という類いなのかわかりませんが)がありました。

 

それは、母の事です。

 

自分は生まれてこの方、母の涙と言うお約束を一切見た事がありません。

 

妹の結婚式でも、相手側のご両親は号泣しているのに、まるで対義語のようにうちの母はあっけらかんとしていました。

 

あっけらかんのCMかと思う程です。

 

今年の始めにあった、祖父の葬式でも、涙一つ見せません。

 

感情のない、これが本当のモンスターペアレントかと。

 

人生のうちでここは泣くだろうという世の中的なポイントがあると思うのですが、それらを一切無視して生きています。

 

「涙」と言う名の付く駅をことごとく飛ばす、急行です。

 

つまり、自分は母が泣く姿に対しての免疫がないのです。

 

流石に実の母を亡くしているのですから、泣くだろうと思うと気が重く、黒いネクタイを上手に結べませんでした。

 

というかネクタイは最初から結べないのですが、芸術家ですから別にいいのです。

 

父親に「ああ、情けない、お前は情けないの広告か」と愚痴られながら、ネクタイの結び方を教わっている間も、母が泣いたら嫌だな、と思う自分がいました。

 

ちなみに父親が泣いているのも見た事がありませんが、まぁ男ですからね。

 

何でこんな<NO,TEARS NO LIFE>な両親から、こんなにも涙袋の厚い自分が生まれたのかよくわかりません。

 

 

 

まず、葬式の泣くポイントと言うのは、大きく言うと2つあります。

 

<故人と最後のお別れの時>と、<火葬場で棺を炉に入れる時>です。

 

 

<故人と最後のお別れ>というのは、遺族が生花を棺に入れ、遺体を拝める最後の場面です。

もう本当に、ここでお別れであるというプレッシャーをかけられるので、最期感が半端なく、「二度と会えない」という気分になりやすい。

 

 

<火葬場で棺を炉に入れる時>も同様、もう本当に、ここで本当に。焼けちゃうから、生前の姿はないよ。いいの?いいんだよね?焼いちゃうよ??次対面するときは骨っこだよ?という、無自覚なプレッシャーが漂うため精神を揺さぶられ、落涙しやすいのです。

 

つまり、この場面で、母の方を見なければ、急行が停車するシーンに出くわすリスクを大幅にカットできるのです。

 

ははは!!こりゃ、名案だぜ!

 

と思ったのですが、「人間の心理」をまるで理解していない武将の作戦がいくさに負けをもたらすかのように、これもまた人間の二面性を包括せずに屹立された愚作だったのです。

 

「見てはけない時だからこそ、見てしまう」のが人間なのです。

 

なんならいつもよりも、より、見てしまうのです。

 

普段、母の事などほとんど意識する事等ないドラ息子で、「母の日」の文字踊る広告を見たとて、実母よりマザーテレサを先に思い出す程の自分なのにです。

 

目の前の、冷たくなった祖母を見下ろしながら、棺越しの母は泣いているのか?それとも、あっけらかん村の親善大使を全うしているのか……。

 

 

そして、とうとう見てしまうのです。

 

ここで、はっきりと号泣しているか、

はたまた、あっけらかんの第二形態「アッケラカーン」になっていれば、

この物語は実に気持ちよく終わるのですが、これが現実。。

 

 

 

実に何とも言えない顔をしておりました。

 

 

 

号泣していなくて安心した自分と、ちょっとガッカリした自分とのハイブリットで実に燃費よく感情を発散させることがなかったので、まぁ一安心といったところでした。

 

そして、視線を母から再び祖母の亡骸に戻そうとしたとき、僕のアイカメラは微かに涙を拭う母を捉えた様な気がしたのですが、もしかしたら、加山雄三のように小鼻をかいただけかもしれないし、ボクサーのように口元のマウスピースを気にしただけかもしれないので、それは見なかった事にしておきます。

 

 

 

僕は、母の涙を見た事がない。

 

 

 

コピーとしては、その方がわかりやすいので。

 

 

 

 

 

これは書くべきか迷ったのですが、最後は父の事を、一応記録として。

 

葬式も終わり間近、喪主の挨拶というのがあり、父が任されたのですが…

 

 

 

父「(前略)……ということで、今日は皆さんありがとうございました。まぁ、短いですが、挨拶をした、ということで…へへへ

 

 

 

笑いました。

 

父は葬式で笑ったのです。

 

なに、真面目に定型文通りの挨拶をしているんだ、、、という恥ずかしさに打ち勝てず、自らを笑い飛ばしたのです。

 

 

母が泣く心配はしていた自分ですが、まさか父が笑う心配はしていなかったので、不意をつかれて、恥ずかしさというより、何故か負けた気分でした。

 

 

という、今回のお話。

 

見事に、アクセスが伸びなそうです。

 

 

 

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