酷評キネマ「恋の渦」
今週のお題「アイドル」
アイドルにほとんど興味がない。
ちなみに、アイドル側からも興味を持たれていないので、両者間で生み出すモノは一切ない、というなんとも気持ちのいい関係でもある。
とはいえ、いい臭いからかけ離れた人種が、いたいけな少女を持ち上げて、周囲でやんやと雨乞いのように踊るその光景は、かぐや姫を迎えにきた月の住人さながらに、奇妙である。
社会人としての機能をほとんど果たせず、まるで患い者の臓器のような自分が憂うのもどうかと思うが、裏で何やってるかも分からない、おそらくそのほとんどがクスリ漬けのビッチであるだろう少女を応援するのではなく、自分を応援することに時間を使え!と思ってしまう。
だいたい、「私は彼氏がいません!」とかをよく鵜呑みにして、勝手に盛り上がれるよなぁ。。。
しかし、女性も女性で、ジャニーズが好きだったり、韓流だった、氷川きよしだったりで、忙しそうだが、男性のそれとは何かが違う。
なんというか、女は根本的に、男を信用していないのではないのではないか。
などと考えるのも、「恋の渦」という映画を観たからなのであります。
モテキの、大根役者ならぬ、大根監督作品。
原作が大嫌いなポツドールの奴。
まぁ、そんなこと知らずに見てて、ポツドールくせーなと思ったら、ポツドールだもんだから、今後ポツドールくせーものは全部ポツドールなんだろうな。
お話は、クローバーとスベートの違いも分からない、頭の悪そうな若者達が人間関係で悩むってだけなんですが、なんだか、女が怖くなってしまった。
女は誰も信用していない。
だから、平気で「嘘」をつく。
このような言説を、「うちの子は違う」理論で例外化するバカな男を、この映画では存分に描いている。
男は、女を信用しているのだ。
だから、平気で「悪態」をつく。
そしてあるところでは、自分のことだったりする。。
実際、自分も数百人の女と付き合ってきたが、付き合っているときは例外なく、全員、信用に値する女だった。
いつまでもそばにいてくれ「そう」だった。
だから、ひどい事を言っても許してもらえる、と甘えていた。
がしかし、そのほとんどに好きな人ができ、中には裏で獣姦している変態さんもいた。
それでも次にできた女は「こいつは違う」と思わせる、ショップ店員さながらの「演技力」で自分を騙してくれた。
冷蔵庫には、バナナや茄子、キュウリに人参、と尖ったものばかりがあったのも今なら納得ができる。
おそらく料理が好きなわけではないのだ。。。
騙す女が巧みなのか、騙される男が馬鹿なのか。
おそらく両方あるのだろう。
どんだけひどい罵声を浴びせたって、女はそこにいるはずだ。
そう信じているのだ。
バカである。
が、女もそう思い込ますのだから、たちが悪い。
付き合ってから、男は女との信頼関係を築こうとしない。それが前提だからだ。
女はその逆で、絆を深めようとする。前提ではないからだ。
その逆説のおかげで、男は馬鹿なもんだから、自分を好きなかわいい、うざい女、自分だけを見ている、浮気をしらない世間知らずの俺だけの女、などと、彼女を神聖化してしまう。
女がすぐに一緒にどっかに行きたがるのも、おそらくそれだ。
男からしたら行く必要等ないから、ま〜うざい!!!
あのうざさ、俺を信用してなかったからなのか。そうかそうか。
この歳で、ようやく気がついたよ。
しかし、まぁ、この映画。
出てる役者達も全員「微妙」で、一応お話の中ではかわいいとされている女も、まぁ原宿歩いてりゃ10歩に一回で食わす程度の微妙さで、これが人気女優とかジャニーズだと成り立たんだろうし、成り立ったとしても、まるで違うモノになる、ようなリアリティを持った映画ではあるが、なんというか、やっぱり映画だから、どうしてもお話として捉えてしまうと、
どうせ、この女、裏で何かしてるんだろう?
という映画的フラグの立ち上がり方は、回避不能なので、そういう意味では衝撃はないし、うまく入り込めなかったりする。
女を純粋に見せようとすればする程、裏に何かある「感じ」がでてしまう。
作り手はここと戦うんだろうが、悩ましい。
ただ、それも狙いなのかもしれない。
タカシという、プラトニックな感じの安い男の裏には、唯一そのまま、ただ彼女を信じる親思いの長男である、という事実しかないからだ。
こいつには何かあるのかな?……
いや、なかった。
で終わりだもの
これが男の本質だ。
今までで一番勝手な事書いてるが、怖くなってきた。
俺って女性恐怖症じゃん。もう誰とも付き合いません。
だから、そもそも騙す気満々のアイドルにどうしたって、ハマれないのだろうと思う。
あれは、分かって騙されると言う大人の遊びなんだよね?
そうなんだよね?
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