さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

酷評シネマ「思い出のマーニー」

毎日暑い日が続く中いかがおすごしでしょうか?
毎年7月、8月あたりになると、予想を裏切る事なく暑いわけですが、正直
地球ってバカなの?
って思ってしまいます。
少しは、アバンギャルドな一面を見せろよと。
もういいんだよ、夏は暑いのお決まりは。
まるで、漫画原作ばかりの邦画界のようです。
別に大してヒットもしないし、いつまでそんなことやってんだよと。


そのコンサバな姿勢に危機感さえいだきます。



小栗旬ルパン三世じゃないけれど

f:id:nigaoolong:20140805004716p:plain

「あらららららら〜」
って、感じです。

 

 

 

 


さて、今回酷評するキネマは

f:id:nigaoolong:20140805005148j:plain


「思い出のマーニー」です。

観てきました。

スタジオのところのジブリっつあんの最新作です。


おそらく観なくても「マーニーィィィ!!」って叫ぶシーンがあることは保証されているであろうタイトルです。

監督は「借りぐらしのアリエッティ」の監督でもあり、若手のホープ。

内容は、精神的不安定な、主人公が田舎で療養中に、マーニーと言う謎の美少女にであい、心を取り戻して行くと言うお話で、『借り暮らしのアリエティ』では、主人公が精神的不安定な少年にであい、少年がこころを取り戻して行くと言う意味では、この映画は逆の構造であります。

アリエッティです。

米林監督が、

 

アリエッティとは逆の事をしたい」

と言って、出来た映画なのかもしれません。

自分は、アリエッティは結構好きな作品で、小人の視線で描かれた日常的風景のダイナミズムが非常におもしろくアニメ冥利につきるなぁと好印象を持ちました。

宮崎駿を掲げている様な節もあり、勝手に応援したくなりました。

また主役のアリエッティジブリの描く少女の中ではかなり上位にランクインし、その日以来ティッシュもアリエールしか買わなくなる程でした。

ですので、今回の映画もそこそこ楽しめたし、作品としてもまぁうまくまとまっています。

宮崎駿のような活劇としての要素はなく、多少夢のシーンが多いものの、日常を淡々と描くストイックに描いています。

まぁアニメだとその事自体が奇跡的だったりするわけです。

おもひでぽろぽろなんて、内容はどーってことないけれど、アニメでの再現性が高すぎて、もう芸術の域でした。


思い出のマーニーはそこまでではないけれど、これが実写だったらつまんねーかもなって内容を、アニメだから面白いっ域には到達させている。

食材を切ったり、食べたりする箇所なんて、気持ちがいいです。

スタジオジブリの作画力ってのは凄いですよね。今作は多少物足りない気もするけれど。

ただね、結局なぜ日本人がスタジオジブリ作品を観に行くのかっていうとね、もちろん作画能力の高さや、健全さってのもあるかもしれないけれど、宮崎駿が描きつづけていた「主人公の顔」のおかげなんですね。

ナウシカに始まり、多少ニュアンスは違えど、宮崎駿が描き続けてきた少女の顔ってのは一緒なわけです。

スタジオジブリで、この顔を描いていない作品はけっこうコケている。

となりの山田くん」なんてもの凄い作画だし、内容も面白いのに大ゴケですよ。

監督した高畑勲が悪いのではなく、キャラがジブリの顔ではなく、原作のまんま、やくみつる風味の、いしいひさいちの描く顔だから、コケたわけです。

同じ監督の、平成たぬき合戦ぽんぽこが当たっているのも、ジブリ感満載のキャラクター造形だからなわけです。

逆に言うと、この顔で描いておけば、大駄作といわれたゲド戦記だって70億とか突破してる。

まさに金のなる顔ですよ。

もう日本人はこの顔を見れれば、監督は宮崎駿じゃなくたっていいわけです。

子供の時からトトロやラピュタを見せ続けられ、刷り込まれたが故に醸成されたあの顔への信頼感は、なにかの陰謀なのではないかと思う程、カルト的ですらあります。

たとえ心霊写真にあの顔が写り込んでいても、脳内には久石譲の曲が流れ、なんだか、温かい気分になりそうです。

 


正直、そこから脱することができなければ、本質的な脱宮崎駿にはならないと思うわけで、今回の思い出のマーニーも例外ではなくあの顔を採用している点で、宮崎駿の亡霊「みやさん」に未だ取り憑かれているといっても過言ではありません。

 

 

f:id:nigaoolong:20140805013930j:plain


「みやさんさん、みやさんさん、どうぞおもどりください」

 

とお願いして、鳥居まで10円玉が戻るのをスタッフ全員で輪になってお祈りしたほうがよろしい。

もちろん!

そんなことは全員わかっているのです。

その意思表示が今回の映画の中に盛り込まれておりました。

あの顔をつかいたくはないが、いつもと違う顔を使えば山田君のにのまえになるし…。う〜ん。

どうしたら、宮崎駿の描くあの顔と差別化できるのか…。

そして、たどり付いた答えがこれです。

 

 


耳を福耳にする。




おそらく、まずは耳からバレないように徐々に、目、鼻、口へとその脱宮崎化をしていくという魂胆なのでしょう。

 

 

苦肉です。

 

 

苦肉の花が、満開で咲いています。

 

確かに、ちょっと脱宮崎ですが、意外に、これがまた、非常に作品を見づらいものにしているし(俺だけ?)、しかも、まだまだ全然宮崎駿だし、どうなのこれ?

という疑問が拭えませんでした。


小栗旬でいうところの

f:id:nigaoolong:20140805004716p:plain


「あらららららら〜」

状態です。

ただ、現状に懐疑的であるという意思を感じると言う点においてはいいんだけどね。

 


劇中に明らかな違和感として登場するエキストラがいて、多分スタッフの誰かだったり、監督だったりするんだろうけれど、

その辺にも若手の自意識が垣間見え、頼もしい限りではあるけれど。。。


ジブリを憂いている矢先に、製作部解体のニュースが飛び込んで来たので、なるほど、時間をおいて「みやさん」を少しずつ追い出して行くわけね。





まぁなんにせよ、原作ものなしでやれるようにならないと駄目ですね。

 

俺に原作やらせな!!!