マジックなどに驚く輩
どうも、様々な事に対してすぐにゲシュタルト崩壊してしまうシーズン野田です。
ぎょろぎょろと動くその目玉や、起きたら当然のようにやってきている朝、むけばむけれるバナナなど、とうていゲシュタルト崩壊しそうにないものが崩壊するのです。
このような日々の失認になやまされ、最近はその悩みすらゲシュタルト崩壊し、結果普通に過ごせるようになりました。
次回作は、ゲシュタルト政権崩壊後の日本を描きたいと思っています。
さて、
当ブログ「シネマレスラー」と言うだけあって、映画関係の内容ばかりを期待されそうですが、最近は映画のことなんてさっぱり書いていないということに思い立ち、そろそろ映画レビューでも書こうかなんて思った次第ですが、レビューというのは本当に難しいものです。
最近も「陰謀論の正体」という本の書評をやったのですが、自分では整合性はとれてはいるのだけれど、読む人によってはチンプンカンプンなんだろうなと。
他者を語るその難しさを痛感しております。
これからの「陰謀論」を考察する1冊は、情報化された現代を生き抜くための指南書でもあった! | ダ・ヴィンチニュース
ちなみにこの本、面白いです。
ということで、今日は映画の話をしたい、と思ったのですが、映画見る余裕まったくなし!なので、
なぜ僕はマジックが嫌いなのか?
ということについて語りたいと思います。
まず、マジック自体は素晴らしい事だと思います。
コインを消したり、人を切断したり、新聞紙に液体をそそいでも溢れなかったり、自分が引いたカードをぴたりと当てられたり、他の女を連れ込んだ事が彼女になぜかばれたりと、まぁそこまではよろしい。
だが、その後がよろしくない。
なぜ、タネを見せないのか?
タネを見せないってことは、やりっぱなしに他なりません。
いいですか、マジックには必ずタネや仕掛けがあるのです。
超能力ではない。
コインが消えます、といって、コインを消されても何も思いません。
そもそも消えるようなしかけがあるわけだから。
むしろコインが消えない事の方が、凄いくらいなものです。
その仕掛けが面白いのであって、コインを消す事それ自体が面白いわけではありません。
彼女が他の女を連れ込んだ事がなぜわかったのかが気になるわけです。
しかけを見せないのなら、コインを消すと言うマジックの果てに、コインを消す事に付随した素晴らしい何かがなければなりません。
その構造を使ったなにかが。
消したコインは自動的に募金箱に行くとか、なにかしらの意味が必要になってくるのです。
消されたからなんなのか?
他の女を連れ込むことの、何が問題なのか?
連れこんだ自分に問題があるのではなく、連れ込まれた女に問題があるわけです。
無理矢理思ってもない事を書き連ねているので、話の骨子が全く見えなくなりましたが、ここでお口直しのライブ情報です。
今月末にライブがあります。
にがウーロン単独ライブ「ヘルシー」への道 その2 - YouTube
ヘルシー | にがウーロン [その他公演紹介] 演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術!
よかったらご家族連れ来ていただき、全員で気まずくなっていただければと思います。
僕らが子供の頃は、その気まずさを「バカ殿様」が担っておりましたが、今の日本では中々そのような気まずさに出会う事がありません。
とても貴重な機会だと思いますので、よろしければ年末は新宿で。
どうかよろしくお願いします。
http://line.me/S/sticker/1037679