コピーライトについて
今週のお題「今年の抱負」
三船美佳が離婚したがっていたり、髙橋ジョージがかわいそうだったり、あいかわらずの自己責任論だったり、極楽とんぼがお笑いライブで復活したり、テラスハウスの映画の公開が控えていたり、安倍が晋三だったり、心臓がアベベだったり、インフルエンザがパンデミックだったり、鶴太郎の技法がたらし込みだったりと、2015年もいきなりなごあいさつで始まりました。
最近思うのが、世のコピーの大半の後に「よく自分で言えるな!!」という文言が付く事に気がつきました。
例えば、ニトリのコピーに、付けてみましょう。
「お値段以上。ニトリ」
「よく自分で言えるな!!」。
ミスタードーナツのコピーに、付けてみましょう。
「いい事あるぞ〜ミスタードーナツ!」
「よく自分で言えるな!!」。
かっぱえびせんだと、
「やめられない、とまらない かっぱえびせん」
「よく自分で言えるな!!こわいわ!」。
おっと、「こわいわ!」も付いてしまいました。
このように、コピーというものにはまるで奥ゆかしさがありません。
<いや僕なんか、私なんか>という謙遜がまるで感じられないのです。
自分は、謙遜や自虐の果てに、今の地位(それはそれは低い)を築いて来たので、正直、これらのコピー的ジャイアニズムには驚くばかりです。
これに関して救いようもありません。
ヤクルト"さん"って!!
自分で"さん"付けって!!!
もし、このように、私が
「いい毎日には、シーズン野田さんがいる」
なんて、自分で言っていたら、どう思いますか?
「は?よく自分で言えるよな!」
って、やっぱなりますよね?
他にも、
「きれいなお姉さんは好きですか」
「よく自分で言えるな!」
「日本人の、日本人による、日本人のための植物性乳酸菌のヨーグルト。」
「よく自分で言えるな!」
「よく自分で言えるな!」
「ウイスキーも音楽もなかったら、心がグシャグシャになってしまうなぁ。」
「よく自分で言えるな!」
など、挙げればキリがありません。
まぁ、最後のを、もし僕が言っていたとした場合、
「シーズン野田も音楽もなかったら、心がグシャグシャになってしまうなぁ。」
「まじで、本当に、本当の本当に、よく自分で言えるな!逆に気持ちいいわ!」
となるので、自己賛美するなら、気持ちいいくらいがいいかもしれません。
ちなみに、以前僕はコピーライターと付き合っておりましたがよく、彼女がつけた僕のコピーが秀逸です。
「小さい、ジャイアント白田」
どことなく、似ているようです。
”小さいジャイアント”ってところがいいですね。
さて、今週末、
既報通り、役者の体調不良、及び、顔面不良によって延期となっておりました静岡公演が始まります。
武蔵美出身!映像クリエイター集団”にがウーロン” 静岡公演『ミックスジュース』 | Facebook
もし、偶然お茶を摘みに来ていたり、さくらももこミュージアムで油を売っているような方がおられましたら、島田の方まで来ていただき、観劇していただければと思います。
サイコーに面白い、新感覚アトラクションになっております…
って、よく自分で言えるな!!
お後がよろしいようで…
って、それも、よく自分で言えるな!!!!