ジョブズじゃなくて、僕は任天堂の岩田さんだった話。
今週のお題「ゲーム大好き」
「皆さんこんにちわ。任天堂の岩田です」。
この言葉を聞く度に
「よっ!待ってました!」
となるゲーマーの方も多いと思います。
そして、僕もその一人だったりします。
これは不定期で任天堂から発信される「ニンテンドーダイレクト」という映像コンテンツの冒頭の岩田社長のあいさつです。
社長直々に任天堂のラインナップを配信するのですが、僕はこのコンテンツが始まって以来一度も欠かさずに見ています。一度もです。
そうなのです。何を隠そう自分は任天堂信者なのです。
2ちゃんなんかだと、<妊娠>と言われて、揶揄られているアレです。
自分の場合は、ピョコタン様のように任天堂の株を持っているわけでもないし、ましてやゲームをやるわけでもない。というかほとんどやらない。ただただ、任天堂のモノ作りが好きだという、ちょっと珍しいタイプの<妊娠>です。
今の保守が反左翼なのと同様に、<妊娠>という言葉の中には<反プレステ、アンチソニー>という一面も存在しますが、自分の場合はそういう反体制的側面もそこまでありません。いや、まぁちょっとはあるか。
人によっては信者として認めてくれないかもしません。ゲーマではない事は認めます。
さて、すでに知っている方も多いでしょうが、任天堂の社長である岩田聡さんが先日お亡くなりになりました。
55歳という若さです。
僕がこの訃報を知ったのは、とあるYAMADA電機のテレビ売り場でした。たまたまエスタレーターでゲーム売り場に向かう途中、ふとテレビ売り場を一瞥すると、社長の顔がドーンと大きく映し出されていたのです。一瞬、新しいゲームの発表かな?と、心が踊った分、
「え?!」
と思わず店内で大きな声を上げるほどの衝撃でした。
よく出没するかもしれない「え?!」の人だと思われたかもしれません。
しばらくテレビの前から動けなくなりました。
おっさんが死んだだけだろ?大げさだな。
と思う人もいることでしょう。
けれども任天堂の好きな人間は任天堂のクリエイティビティが好きなわけで、それは、そのリエイティビティを発信する人間に対しての尊敬です。
誰だって凄いモノに触れたときは、これって誰が作ったんだろう?って思うじゃないですか。結局はその製品や作品の奥にいる人に感心は集まるのです。
しかも岩田社長は、ただ経営を任されているだけの雇われ社長ではありません。
先代の山内社長が天才だと見込んで社外から連れて来た<ウルトラC>なわけです。
当時、岩田さんが社長に就任したと聴いた時は本当におどろいたけれど、なんとなく溜飲下る感じもしました。
彼はHAL研という会社で社長をやっており、そのHAL研はスマッシュブラザーズや星のカービィシリーズや、MOTHERなどの歴史に残る名作を手がけているのです(この辺ろくに調べもせず記憶で書いているのあしからず)。他にも沢山あります。
そんな傑作達を、時に自らプログラミングしていた天才クリエイターなのです。
彼が社長に就任し生み出されたのが、WiiやDSであり、その凄さ推して知るべし。
任天堂は一兆円企業になりました。
そもそも僕が任天堂にときめいたのは中学生の時でした。当時はプレステ派が多くを占める中、僕は一人NINTENNDO64の衝撃にうちひしがれていました。
プレステのムービー頼りのゲームの凄さにだまされている同級生を尻目に、時に逆風を浴びながらも本質的な<遊び>に孤高にトライしている任天堂のモノ作りに一人脱帽と敬意と送り、なぜか自分を重ねていました。
任天堂とは俺の事だ。
馬鹿です。
一生就職などするものか!とその時から思っていたのですが、唯一してもいいと思える会社でした。(大学の時に唯一就職説明会に行ったのも任天堂です)
そこからずっと今日まで任天堂が好きです。
ゲームはお金がないし、時間もないからやることはありませんが、常に任天堂のラインナップに目を光らせる人生を送ってきました。
忍者が「ニンニン」と言う度に振り向いてしまうほど、任天堂に敏感な人生でした。
運を天に任せると書いて任天堂。
自分もそれに習って、天に任せすぎて運をこじらせてはいますが、任天堂のイズムが少しでも僕の血に流れていることは、僕の人生において大変光栄なことだと思っています。誇りです。
ジョブスが死んだ時、馬鹿みたいに悲しんでる日本人を見て僕は違うだろうと思いました。本当にこいつら馬鹿だなと。だから戦争で負けるんだと、心底思いました。
ただ一つの、日本の誇れる大企業として君臨しつづける任天堂CEOの死こそ、もっと日本人は悲しむべきでなのです!!!
志半ばだっただろうし、無念だった思う。55歳は死ぬには若すぎる。
岩田社長なき今、任天堂がどうなるのか正直不安ではありますが、きっと山内社長から引き継がれた岩田イズムを引き継いだ天才が任天堂を救ってくれることでしょう。
スマフォ事業を立ち上げ、任天堂の遊園地を作ると言う任天堂が今までタブー視してきたことに、深く切り込んだここ最近の任天堂の急速な変化。
岩田さんは自分の死期を悟っていたんです。
岩田聡、死期を悟る。
だからやれることは全部やる。命を削って。
そういう男なんです、社長は。
もう社長から「直接!」が聞けないのは寂しいですが、自分は岩田イズムを受け継ぎ、一人任天堂としてがんばって何かを作っていきます。
社長、お疲れさまでした。