テラーオフハウスが終わりまし!!来て下さった方々、本当にありがとうございまし!こないやつなんなの?
先日、一週間限定で公開されました「テラーオブハウス」が無事おわりました。
上映中に、ブロックノイズが出る事も無く、音が途切れる事も無く、ヤクザがスクリーンを切り裂くミンボーな事も無く、スタンディングオベーションも無く、ナクナクづくしで、ほっとしております。
これもひとえに、ご来場下さった最高な方々のおかげであると存じ上げます。
だれも寝ないでよく耐えてくれました。
蓋を開けたら「睡眠大会」になっていたらどうしようかと、そこが一番の恐怖でした。
ピックコロ大魔王のように、目をあけながら寝ている人も中にはいたかもやしれませんが、それはあえてカウントしないでおきます。
ご来場できなかった方々は、まだまだこの先にがウーロンでの催しがあると思いますので、そちらの方でのリベンジよろしくお願いします。
↓
さて、
上映期間の一週間が怒濤のように過ぎ去りまして、毎日トークイベントがあったり、お客様の顔色をうかがったりと、緊張の耐えない日々でした。
ピョコタン先生との夢のニコ生。
一緒に盛り上げて下さったトークゲストの皆さんには心から感謝いたします。
岨手監督の「にがウーロンって暗いよね」は忘れる事はできません。
枡野さんの、思いもよらぬお褒めの言葉。賛辞に慣れない僕らにとって、逆に惨事なこととあいなりました。
拙い僕の進行により、色々とご迷惑をおかけし、深く反省をしております。。
打ち上げで、出演者の山崎さんに
「野田さんは、反省したらおもしろくないよ」
と言われましたが、そんなタモリのような達観したメンタルは持ち合わせておらず、毎日死にたい気持ちにかられていました。
ウルフルズの名曲、
「反省なんかしない どうせ今夜は眠れない くだらないヤツでいよう このまま」
という歌詞がずっと頭をリフレインしてました。
トータス松本も、おそらく反省する毎日を送っているのでしょう。
だから、ウルフルズはひょうきんなんだろうなぁ。
みんな名前もふざけてるしね。
名前がふざけてる人たちってのは、反省する自分の常識的ヒューズを飛ばしたいんじゃないかと思うんです。たけし軍団もみんなふざけた名前だけれど、世間様の感覚に呑み込まれないための抗いがゆえなのではないかと。
つまり誰よりも常識人なのではないかという、逆説の中に生きている人たちと言えるでしょう。
トークイベントとかコントとかではどえらい反省をするものの、映画自体はもう出来上がっているからあがきようがない。
そこはいい。
スタートボタンを押したら、機材トラブルが無い限り、だれも台詞が飛ぶ事無く、終わりまでたどり着くわけですからね。
その分、明日はもっとこうしようとか、修正できないのがもどかしくもある。
映画とはいえ、ウケるウケないってのはライブと同じくらい気になるんですね。
昨日はウケた場所が、今日はウケない、その逆もまたしかり。
ライブだと、間がズレたり、ちょっとしたニュアンスの差がもろに出るので、反応の差に納得がいくわけです。
しかし映画は、内容は全く一緒。
改めて不思議な感覚というか、そういうもんなんだなって、妙に納得すると言うか。
まぁ、普通に考えれば、お客さんが違うから反応が違うってだけなんですけどね。
あと、観客が何に気を使うかのかも、ライブとはちょっと違う。
ライブは、客と役者がその空間の担い手であり、作品に対しての共犯関係が自然と成立してしまう部分があると思います。
例えばお笑いだったら、<ボケ>て<つっこみ>があって<笑い>がある、というリズムで稽古をしているわけです。にもかかわらず、<笑い>がないとしたら、その先には進まないですよね。
だから、観客は役者に気を使う。それがライブ。
けど、映画の観客は他の観客に気を使うんです。
つまり空間全体の調和を目指すわけです。
笑わないように、騒がないように。
だから、映画で笑うって難しいよね。
まぁ、にがウーロンの場合、コントでうけることもないですけどね。そういうのじゃないからいいんだけどさ。。。あと、客が気を使ってくれないからね。。。。
気を使って!!
それと、映画って、レビュー文化が発達してますよね。
今回色々な感想、ご意見、レビュー、批判、誹謗中傷、クレーム、忠告、最終勧告、圧力、規制などなどをいただき、大変勉強になりました。
というよりも、酷評も含めて、そういう見方があるのか!という、面白さがたくさんありました。勉強になります。(かといって調整しませんけど)。
ゲストの方々にも、素敵なお言葉をいただき、恐縮するばかりです。
恐縮合衆国に帰化したいくらいです。
ちょっとお一つ、面白い感想いただいたので、ご本人に許可をとりまして、ここに転載いたします。
映画、唸りました。
屹立する一峰ですね。
正しく「作品」であると思います。
巷間云われるように、“笑い”と“恐怖”は双子、
その両極は、人間文化としての喜怒哀楽を遠く遡る、
脊髄反射としての発作であり、痙攣なのでしょう。
ファルスを突き詰めれば悲劇(ホラー)になるし、
悲劇が繰り返されればコントになってしまう。
僕は怪談文芸が大好きなのですが、
日本の怪談語りが落語と共にあるのは必然なのです。
「にがウーロン」が尊いのは、
了解容易な喜怒哀楽に堕しがちな現代の「お笑い」に、
文化以前の「痙攣」を召喚させようと格闘しているからだと、
そこから「恐怖」へは一足跳びであり、
それは芸術の、果てから果てに振れる(触れる)道行きです。
この一峰が連峰になることを期待します。
意味分かった??
もはや、この批評そのものが、作品的価値を帯びているわけですが、そのような作品をうみだす「作品」を創作できたことが、ひとつ高度な達成だと言えるでしょう(ははは!!)。
いいですか?僕らは
文化以前の「痙攣」を召喚させようと格闘している
わけです。
つまりこれは、いかに神に近づくか?という、宗教的活動であるということ。
いや!!!神も文化とするならば、それ自体を超越するための、脱宗教的、脱礼拝的な超受動的かつ展示的な活動であると言えるでしょう。
ついてこーい!!
このようなお言葉をいただき、身がしまる思いでございます。
それと、酷評して下さった方々にも改めまして、
喧嘩してやるからこいよ。
最後に月並みですが、出演して下さった役者の方々、僕らの拙さMAXな現場にも関わらず、最後まで降板することなく、本気で僕らの表現と対峙していただき、ありがとうございました。多分、みなさんはこの先どんどん有名になると思いますので、どうかこのポンコツ狸どもを使ってやって下さい。
また、素人に毛が生えた程度の弱小クリエイターの戯言に、快くおつきあい下さった素敵なスタッフの方々、ここまでわがままを許して好き放題作らせてくれたプロデューサーの津田さん、このようなご縁を与えて下さったキャスティングの伊藤さん、本当に最大限の鋭さと鈍さで感謝を申し上げます。
足を向けては寝られません。
頭を向けて寝ます。
どうかまた一緒に何かやらせて下さい。場所を貸して下さいましたユーロスペースさん、一緒に盛り上げて下さいました、ゲストの方々にも改めて深く感謝と陳謝を並列したいます。
みんな大好き!ありがとうございまし!
byポンコツ狸 にがウーロン