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さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

シェンロン論。

今週のお題「いま学んでみたいこと」

 

 

 

ろくにドラゴンボールを集めずに「いでよ、シェンロン!!」と叫ぶ事が日課になりつつあるシーズン野田です。

 

もちろん、いでてくれたためしはなく、豚のキャラクターに「パンティが欲しい!」と願いを横取りされた事もありません。

 

よく考えると、シェンロンが召還されるときって、かなり目立ちます。急に天気が悪くなり、雷が落ち、なんせ龍が出てくるわけですから。

 

そんな環境の中で、自分の願いを聞こえるように大声で言わなければならないので、あまり恥ずかしい願い事はいえません。

 

世界平和を願えばバカに見えそうだし、お金が欲しいと言えば強欲でチンケな人間に思われそうだし、かわいい彼女が欲しいと言えばスケベで寂しい野郎だと哀れまれるし、夢が時間を裏切りませんように、といえば、槇原敬之松本零士だと思われる。

 

願いを言うのって、恥ずかしいことなんですね。

 

けどね、やっぱり言わないと叶わないんじゃないかと思うわけです。

 

ただ「言う」っていうのはね、まぁ、そのものをズバリを言うってことじゃなくて、そのために、願いを叶えるために何をしているかってことでね。

 

例えば、自分は将来有名俳優になってカンヌに行きたい!って言うとさ、やっぱり笑われますよね。

 

「は?カンヌ?神奈月のライブでも行っとけ!」

 

ってなる。

 

けど、そのために今カンヌ語を必死で覚えてる、って事になると途端に誰も笑わなくなるわけです。笑うかもしれないけれど、本気なんだなってなるわけです。

 

別に周りに本気と思われたくてやるわけじゃないから、周りなんかどうでもいいだけどさ。

 

結局思っている事が実現化するのではなく、思わなくてもやってしまっている事が全てであるんだと思います。

 

それが願いを言うってことじゃないかと。

 

願いとか、夢とかそういった言葉の裏側には「叶わない」という漠然としたイメージがつきまとっているような気がする。

 

だから、夢として語らない方が良いんじゃないかな。

 

やるものとして、あるものとして、まるで決まり事のように無理をしないでただやる。

 

シェンロンのためにドラゴンボールを集めてるとやめちゃうけど、ドラゴンボール集めがアドベンチャーであれば、途中で死んでも悔いはないかもしれない。

 

僕はそうやって言い聞かせてます。

 

だから、夢も希望も願いも僕にはありません。

 

あるのは絶望だけ。

 

そんな絶望の中、コントライブがあります。

 

シェンロンの戯言から話が大分それましたが、こちらが本題です。

 

 

 

■9月26日(土)
にがウーロンアワー番外編 もっとよくする会


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先日、テラーオブハウスにご来場下さった方々にはチラシをお配りしましたが、

9月26日に吉祥寺のオンゴーイングさんでやらせていただきます。

 

30名様限定なので、どうかお早めにご予約をお願いいたします。

 

不完全な新作達を、はずかしげもなく披露します。

 

それをみんなでより良くしようという会です。

木戸銭:
1000円(要ワンドリンクオーダー)
19:00開場  19:30開演

Art Center Ongoing

 

映画「テラーオブハウス」の公開が終了し、休む間もありません。

 

この先どうなるかわかりませんが、ただやってみますので、お付き合い下さい。