直木賞作家又吉直樹の『火花』読了。火花散る感想。
今週のお題「人生に影響を与えた1冊」
どうも。便秘と便意の関係をメタファーにし、冷戦時代の米ソを描きたいと思っているシーズン野田です。
ちょうど今ウンコがしたくて、思いつきで発言してしまいました。
流れ上「米ソ」を「米食い過ぎで出たクソ」の略だと思ってしまった方には陳謝です。
さて、クソの話はこのくらいにして、今日はとある本の感想を書きたいと思います。
因みにボクは本をほとんど読みません。
たまに思いついたように、『スーホの白い馬』を引っ張りだすくらいです。
あ、『ぞうのたまごのたまごやき』も読みますね。
あと、『ばばばあちゃん』とか『バーバーヤガー』とか、『しずくのぼうけん』なんかも読みますね。。。
いいかい、せーのつっこむよ?
せーの
『○○○やん!』
さて、みんなは何てつっこんだかな?
語尾が関西だから、東京の人は抵抗があったかもしれないね。
こんだけお笑いが溢れて、みんな芸人もどきみたいで、なんの裏付けもない「それおもしろくないよ」的な感覚で、優位を気取るみんななら、さぞかし気の利いたつっこみをしてくれることでしょう。
誰もボケを担当しない、つっこみ大国日本バンザイ!!
ちなみに、ボクの中の正解はこれ。
「それ、全部絵本やん!!絵本やんけ!!しかも絶妙なチョイスやん!!『グリとグラ』とか入れへんところがええやん!!」
です。
意外に長いというね。つっこみが長いと言うボケになっているパターンね。
まぁ絵本も立派な読書ですけどね。
ボク、絵本書きたいんですよね。姪っ子達が喜ぶような。けっこう良い本作ると思いますよ。道徳とかではない、直感的かつ体感的な子供がよろこぶ絵本。
そういう仕事持って来てくれよな。
わかったかな、加藤ふりかけ!!!
おっと、ブログで業務連絡しちまった。
ちなみに加藤ふりかけってのは、にがウーロンの天才プロデューサーです。
というか、本題までが長いですよね。。。すいません。つい話がそれる、ハナシドソレイユとはボクの事です。
まぁまくらが長いのは、小三治師匠の影響かもしれないってなもんで、、、、、
「ごめんください表現者!いるかい?いねーのかい?おい、表現者!話があるんだけども」
「なんだお前か。薮から棒になんだい」
「さっさと本題に行って下さいよ」
「え?ああ、そうか。。いや、お前が出て来たら、よけいに話が長くなるだろ」
「そんなこと言ったってね、出ずにはいられんですよ」
「デズニーイラレンドか」
「下らない事言ってる場合ですか。今日はね、『火花』の感想を書こうと思ってたんでしょ?表現者なりのさ」
「ああ〜これか。そうだっけか?」
「ったく、見出しにもそうあるじゃないですか」
「え?……直木賞作家ピース又吉の『火花』読了。火花散る感想。。。ああ、本当だ」
「本当だじゃないですよ。しっかりとして下さいよ」
「いやね、いざ書こうと思ったんだけども、どういう切り口で書いたらいいのかわからなくなってしまってな」
「前置きが長いからでしょ。なんだっていいんですよ」
「えっと、、、、あ、売れてるみたいですね」
「なんですかその締まりのなさは。内容に触れて下さいよ」
「だって」
「表現者が思った事を言えばいいんですよ」
「だって怒られるじゃん」
「怒られるくらいでいいんですよ。時間使って読んだわけでしょ?いいんですよ、火花散って炎上するくらいの事やってくださいよ、表現者でしょ」
「そうか。そうだよな。」
「そうですよ。直木賞がなんだってんだ!」
「そうだよな!」
「そうですよ!言ってやれ!ガツンと言ってやれ。偉そうに、表現者の表現とは一体なんぞやと、教えてやれ!!」
「わかった!言うぞ!」
「ガツンと!!」
「いや〜…面白かったな」
「え?」
「なかなかのもんだ」
「え?え?」
「普通に、この先どうなるんだろう、この人たち。って物語に入り込んでいる自分もいたりして、そんなに期待してなかったけど、総じてよかったという印象だな」
「え?面白いんですか??」
「いやな、最初は私も疑っていたんだ。
弟に『兄ちゃん、兄ちゃん、これ面白いよ」』と、鼻をほじって勧めてられたもんだから、私も弟がほじった鼻くそを食べながら『ほうけ、ほうけ、ちーちゃんがいうなら、よんだらみんといけんわね』と、騙されたと思い読んでみる事にしたんだが、
『パコと魔法の絵本』が面白いと褒める、くそバカな弟が面白いっていうくらいだから、正直全く期待はしてなかった」
「ほ〜う、まぁ『パコと魔法の絵本』はディスらないでいいでしょ。読んだ事ないけれど」
「いや、映画なんだけどね」
「紛らわしいな。絵本じゃないんだ。大分ひねった内容なんだろな。やだやだ」
「……まぁいいや。そこは広げなくてよろしい」
「で、どこがよかったんで」
「うん。まぁ。どこがってことはないんだけど。。主 人公が、もう一人の自分というか、鏡となるような先輩芸人と対峙していくなかで、芸人の世界を通して、表現とはなにか、普通とはなにかとか、そういった心の揺らぎを常に繊細に 描いているところかな」
「普通ですね」
「いや、それだけなんだけどさ。そういう美学やこだわりそのものが、そもそもいるのだろうか、みたいなところまで考えざるを得ない、その無限ループの中で生きる芸人達は、"狂気を模索するという"一見狂気から離れた狂気を持て余しながら、お客にウケるか、ウケないか一点のみで、どうにか、社会と結びつき、平常を保っている。ただウケたい。それだけなのに、どうして死を思い、生を憂おう。その笑いの残酷さや、作り手の視座みたいなものを、もう一人の自分であろう先輩との対話の中で醸成させていく。先輩の表現論に心酔したり、時には疑ったりするその芸人や表現者としての有るべき姿を模索し続けるひたむきさってのは、自分のような表現者からしても共感するべき箇所が多々あったわけだ」
「結局共感ですか」
「特にラストの漫才には引退がないって話が、ぐっときたな。漫才は二人だけではできない。まわりに凄いヤツがいるからがんばってこれる“ほんなら、もう共同作業みたいなもんやん”って。だから、これから全ての漫才に俺たちはかかわってる。。泣けるだろ?いろんな同世代の表現者を思い出したよ。もうそれこそ無数の人たちが一瞬にして頭をよぎった。自分一人でがんばってるわけじゃないんだなって」
「戯言ですね」
「傷をつくり、誤解を招きながらおもしろを自分の世界を愚直に追求してきた売れない先輩漫才師が、器用にある程度は売れたものの、やがて辞めると決意した主人公に語る最後の言葉なんだ。戯言ってことはないだろう」
「一般論ですよ」
「話に乗っかりゃ、一般論もぐっとくるんだ」
「だから結局共感したから面白いってなっただけでしょ。共感ね。くだらね」
「お前みたいに、表現者じゃない人ヤツにはわからんよ」
「選民意識ですか?」
「絡むよな、長くなるから」
「共感なんて結局、普段思っていそうな事をうまく物語に乗せて、痒いところに手を届かせてるに過ぎませんね。あっしはね、反発や反感にこそむしろ作品の本質的な意味があるのだと思うわけです。許容を超えてこそ、作品に触れる事だと思うんでゲスがね」
「分かるけれども、表現者としての共感があるって言っているのであって、そうじゃない人にも浸透して売れてるんだから、許容を超えてる部分があるんじゃないの?普通の人にとってさ。表現者はこれを理解できたりするけれど、普通の人はどうなんだろうって、正直思った。その許容を超えた世界がある種の魅力になっているともいえるんじゃないのか?」
「いやいや、そう言う意味でいってるんじゃないんですよ。分かる分からないじゃない。芸術か否かの話をしてるんです」
「わかんないよ、そんなこと。よかったんだからいいんだよ」
「酷評して下さいよ」
「え?なんでだよ」
「酷評こそ、芸術じゃないですか。なに、普通にいいとかいってるんですか。あんた表現者でしょ」
「もう一人の自分、めんどくせーーー」
ということで次回酷評編!!!
■9月26日(土)
にがウーロンアワー番外編 もっとよくする会
こんなしょうもないブログを書きながらも、実は自分もコントライブやるんですね。
9月26日に吉祥寺のオンゴーイングさんでやらせていただきます。
30名様限定なので、どうかお早めにご予約をお願いいたします。
不完全な新作達を、はずかしげもなく披露します。
それをみんなでより良くしようという会です。
木戸銭:
1000円(要ワンドリンクオーダー)
19:00開場 19:30開演