芸術界の秘境、芸大の「そっせい」に行った話<前編>。
こんにちわ。
こんにちは。
どっちが正しいのかいつも悩むシーズン野田です。
デブの影を見るとつい「ヒッチコックだ!」と叫んでしまうシーズン野田でもあります。
先日、日本が誇る芸術の極北、
東京藝術大学 上野キャンパス
に行ってきました。
かつて(本当にかつて)目指していた表現界の天竺です。
芸大の友達の友達のアルカイダの友達に、卒業作品を撮影して欲しいと頼まれたのです。
「sleeping pool」という作品でした。
タマだらけの水槽に実際には入ることができます。
自分も体験してみましたが、子供が喜びそうだなぁ、って姪っ子たちを連れて来たくなりました。
けど、これ、子供がやったら多分死にます。
窒息するかもしれない。なかなか進むのが大変でした。
あとこれ、彫刻です。
ノミで石とか木とかをバッコンバッコンやらなくても「彫刻」になる時代なんですね。
要はコンセプト!
今更「要は」なんて言うほどのことじゃありませんが、なんか久しぶりに学生の作品に触れて、ああ、自分もこんな呑気な時もあったなぁって、懐かしくなりました。
何もなくここまで来てしまったなぁ、って。
悲しいよ。
さて、ちょうど(っていうかだから呼ばれたんだけど)卒展をやっているとのことで、ついでに他の作品も見て回ることにしました。
卒展というのは「卒業制作展」のことです。
一般大生が卒業するときに何万字も論文を書く代わりに、芸大や美大では、絵を描いたり、映画撮ったり、ガラクタ集めて家を作ってみたり、ウンコを樹脂で固めてみたり、するわけです。
そして多くの学生にとって、それが人生最後の作品になるわけです。
最後の思い出に、金かけて作品作ろう!って。
これが、美大教育の限界です。
おっと、ネガチブになってしまいましたが、これはいいことでもあるわけです。
作家ってのは研究者でもあって、研究者にとって一番いいことは、自分達以外ががむしゃらに働いて納税すること、ですから、全員が全員作家になられても困ると。
むしろ人生最後の思い出作り程度に制作していただいて、結果オーケー!なわけです。
よし、ポジテブになった。
かくいう私も、卒業制作ではにがウーロンというグループで映画を2本制作しました。
「蝉顔」と「青海二丁目先」という映画です。
その二つとも ぴあフィルムフェステバルで受賞し、結果を出しました。
「蝉顔」は当時審査員だった、今はなきスマップの香取慎吾先生が唯一褒めてくださいました。
見てくれた人に元気を与える明快な映画
だって。本当にいい人だよ。
同じく審査員である石井聰亙先生の
僕にはよくわからなかった
という反応とは対照的です。
よーしこの流れで、映画を撮りまくるぞ!映画王に俺はなる!!と意気込んだものの、結果まだ1本しか撮ってません。
ウッディアレンみたいに年に1本くらい撮りたかったのですが、まだB級ホラー1本しか撮ってないってどうなの??
おっと、ネガチブになってしまいましたが、これはいいことでもあるわけです。
その分、映画以外のことをやってきたし、映画って人生の副産物であるような気がして、いろいろ脱線したのちに行き着く最終手段だと思うんで、この先撮るはずの映画のための肥やし作りの時期だったと思えば、何も問題ありません。結果オーケー!
しかも1本は撮ってるんだから順調さ・・・・・!
よし、ポジテブになった。
ちなみにこの映画です。
Netflixでも配信してますので、よかったらご覧ください。
で、芸大の卒制です。
素晴らしい作品が目白押しでした!
校門はいるといきなりお出ましした緑のかまくら。
上に乗っかった謎の女は学長でしょうか?
アリクイ?かなんかの上に花が咲いてる大理石の彫刻。
まるでポケモンですが、迫力あった。
黒人がエアー鍵盤か、エアーあやとりか、エアー白人をしてる彫刻。
頭身が小さく、しかし妙にリアルな作品でした。
ただ、黒人の手のひらは黒ではなく白いので、そこがもったいないなぁ。
目を引くという意味ではこれが一番だったかな。
見たとおり、自由の女神像です。
実はこれ、被災地の石巻市からトラックで運んできたモニュメント。
津波で損傷しています。
何も知らず遠くから見た限りだと
「ふーん自由の女神ね。頑張って作ったねぇ。ラブホかな?」
くらいだったのですが、自分で作ったわけじゃなく、もともとあったのを運んできた代物だとわかり、自分でつくらなくても作品になるんだよな、と考えさせられました。
コンセプトが作品になっているわけですね。
というか、コンセプトを作品にしていいと許されてる。
そんな中で、どっかのだれかが作って損傷した物質の持つパワーの方が、自分で一生懸命手をかけた作品よりも圧が強いんだとしたら、別に行為として作る必要性ってどこにあるんだろう、なんて考えました。
だからと言って、楽ではないとは思います。
これを譲り受けてトラックで運ぶまできっと多大な苦労があったことでしょう。
絵描きだから「描く」とか、映画監督だから「撮る」とかじゃない、そもそも提示するということは一体どういうことなんだろう、というあがきこそが作品とし浮上したのではないかと思います。
けど、まぁ、また震災系かぁ・・・若干食傷ぎみだなぁ・・・って感じになりましたけれど、作家ご本人が仙台出身ということで、ルーツもうなづけるし、まぁいいか。
屋台が出てて、これもどうやら作品らしい。
取材受けてたから多分。
粉もん焼いてました。
食えばよかったなぁ。
とまぁ、まだまだ迫力ある作品がたくさんありました。
自分ももっとがんばらないと、どんどん置いてかれちまうよ。
さて、校門を出ると、隣の上野公園にも作品を発見しました。
学外にも展示してるなんてちょっとびっくりです。
環境芸術かな?と近づいてみると、
ホームレスが行列つくって豚汁飲んでました。
ほーう、まるで炊き出しじゃない。
へー。
ん??