さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

優柔不断と覚悟の話。

 

自分は優柔不断です。殿堂入りレベルです。

優柔不断とはああでもない、こうでもないという空想に耽ることです。

自分は想像力が豊かだから、優柔不断でも仕方がない。

そう思って生きてきました。優柔不断を肯定的に受け入れる人生を送っていたのす。

しかし最近、優柔不断は百害あって一利なしの不良債権なのではないかと思い始めました。

つまり人生の無駄でしかない、ということです。

 

例えば、今日の自分。

ランチの時、どの店に行くか迷いに迷って、結局どこもランチが終わってしまった。

さっさと最初に迷った店に入っていれば、安い定食を食べられたかもしれない。

いろいろと迷って、歩き回って、いろんな情報が情報が得られたからいいではないか。そういう考えもあるでしょう。

しかし、それは貧乏人の考え方です。

「人生、お金じゃない。お金がなくても幸せに生きれるさ」と一緒です。

不幸でも生きていかねばならぬから、そのために状況を肯定する言葉を捏造しているにすぎません。

だって、次の人生お金持ちと貧乏人どっちを選ぶんだ?と聞かれたら誰しも迷わず「お金持ち」と答えるでしょう?

 

普通にランチに間にあって、安い定食をご飯大盛りで食べられる方が、迷いに迷って結局どこもランチが終わり、結果コンビニ飯よりもいいに決まっているのです。

結果論ではないか?

そうおっしゃる方もおられるでしょう。しかし、迷うから結果論になるだけなのです。最初から迷わなければ結果論もくそもありません。結果論はよければ逆に良かったとなるだけのことで、基本的にはコストがかかるということです。結果ダメなことと、結果良かったことというのは、意味合い的には一緒なのです。

だれよりも早く覚悟をしたものが、勝者になれる。それが法則です。

迷いや葛藤は、はっきり言って害悪です。それさえなければ人生は幸せに過ごせます。

ではどうするのか。覚悟に慣れるべきなのです。

人生は小さな覚悟の連続です。結婚や退職などの大きな節目だけが世では覚悟と言われていますが、そんなことはありません。朝起きるのも、トーストを焼くのも、テレビをつけるのも消すのも、いじめるのも、いじめられるのも、うんこするのも、拭くのも、チークをいつもより濃いめにするのも、エロ本を捨てるのも拾うのも乾かすのも、すべては覚悟です。小さな小さな覚悟です。それらはほとんど迷うことはなく自然にやっている覚悟です。

その延長にすべてがあります。それらと同様、迷わず覚悟することをどんどん増やしていく。迷わない。葛藤しない。ただ、即決する。そうやって生きていけたら幸せになれると思っています。

 

というようなことが「ローマでアモーレ」では描かれてます。見方によっては。

 

街角クリエイティブで連載してますので、よかったご一読ください。

迷わず、即決して↓

 

www.machikado-creative.jp

 

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