さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

タイトルもなし

なんかブログを書く気持ちがほとほと失せて、多分何でだろうって考えてるんだけれど、結局仕事になってないってのがあるのかと思う。

 

これはお金になってない。ってのと別の意味で、これをやってるからこそ出会いがあったり、交流があったり、例えば映画や舞台のシナリオの物語に生かされてたりというようなことが、体感としてあまり感じないということだ。

 

もちろん、今までもそんなに仕事につながっていたこというと、そんなことは全然なくむしろ皆無。ただただ皆無。だれも読んでくれない掃き溜めだった。

バズったり、はてブロにとりあげられたり、そういうことが一回でもあればまた距離感も違ったと思うが、やっぱり、ただ誰も読まない文章をただ書き続ける無人島でのダンスは、アートといえど気持ちが持たない。

 

だから、気が向いたときに、書きたいことがないときに、余白を埋めたくなったときに、なんとなく書く場所として、ここを位置付けようと思う。

 

本当に誰も読まない。

むしろそのことがきっと心地よくなるはずだ。

誤字も脱字も文法も構成へったくれもない。

まぁ、もともとへったくれもないんだけれど。

 

人生思い出せばむかつくことばかりだけれど、そのなかにも心が熱くなるシーンが紛れていて、やっぱり思い出って、明日への活力だと思う。

そんなものいらない!って、昔は思っていたけれど。

 

父が酔って語ったこと。

いつだってそれは屁にもならない思い出だ。

あの時が一番幸せだった。

まぁ、今は幸せとかじゃないんだろうけど「あの時が幸せだった」と断言できる日を夢見ている。どうしても、そんな日がまだないから。でも、まだないそんな日が、幸せな日になるんだろうと希望を持っている。

その瞬間までは生きていたい。

 

ああ、そうだ。

いつまで生きていたいですか?

そう聞かれたら「変哲もない日々のどれかが、幸せだった日々に変わるまで」と答えようか。

ちょっと長いか。

おやすみ。