酷評シネマレスラー『愛、アムール』 シーズン野田
祖父のソフランCの誤飲にはご注意。苦しみ乱れて、死ぬという、祖父乱死(ソフランシ)が起るからね!
という、駄洒落を思いついて、
コレは活字メディアをうまくな利用した駄洒落であると自負するとともに、若干説明がくどい感じがもどかしいシーズン野田です。
<シーズン野田>という、自己紹介するたびに相手にしこりを残す、<しこ名>を名乗り始めて数年が経ちましたが、そろそろ変えようかと思い初めているシーズン野田でもあります。
さて、さて、
祖父が死にました。
あ、別に<祖父乱死>ではありません。
ですから、ちょっとバタバタしてたため、なかなかブログを更新する事ができていませんでした。
ほぼ日と宣いながらの狼藉を、糸井のところの重ちゃんにあいさつひとつせずにいる狼藉をどうかお許し下さい。
ちなみにバタバタしてたと言っても、プールに行っていたわけではありません。
背中に羽をバタバタさせて、都知事選に出馬していたわけでもありません。
一応外国人の方が勘違いする可能性を見越して、記しておきます。
「バタバタ?シーズン野田ファッキン、バタバタ?シャラップ!バットバット!ビッチ!」
少し前にこのブログでもお伝えしましたが、死ぬ死ぬ言われててなかなか死なず、そろそろ病院を変えようとしていた矢先の出来事でした。
享年88歳。
祖父への感謝をこめて描いた似顔絵です。
14秒で描いたので、ちょっと雑ですが、きっと喜んでくれていると思います。
そういや、享年じゃなくて去年、祖母が他界したのも雪の日でしたが、また、雪の日です。
老人は雪の日に死ぬことが多いようです。
寒いからね。
去年の祖母の葬儀は、雪のおかげで、大遅刻。
坊主も遅刻してくれてたらいいのに、時間通り来やがって、着いたらお経が終わってました。
ああ〜外人の坊主だったら、遅刻してくれたんだろうけどね〜。
その反省を生かして、葬儀の日は少し遅めにしてみました。
すると、どうでしょう!
坊主の後頭部、拝み放題!
しかし、お経ってのは眠くなりますね。
坊主の後頭部を見てると、木魚が木魚を叩いているように思え、その叩かれている木魚がまた坊主の頭になり木魚を叩きだし、また叩かれてる木魚がまた坊主の頭になり…というループが脳内イメージ化され、頭がおかしくなりそうでした。
ダンボがお酒を飲んじゃった時に見える、カーニバルのような、トランス状態です。
一緒に住んでいたわけでもないし、たまに会うくらいだったので、あまり実感としてわかないのですが、もう二度と会えないのかと思うと、もっと立派な自分の姿を見せてあげたかったですね。
以前、ぴあフィルムフェスティバルで賞をいただいた時に、祖父が親戚中にいいふらしていたというエピソードを聴いて、タコじゃなくてもタコツボに入りたい気分になったのですが、そういう自分をもっと見せてあげればよかったと思っています。
さてと、さてと、サテトサラダ、と。
祖父と別れた自分の気持ちを埋めるため、今回は老人見たさにこの映画を辛口酷評。
『愛、アムール』
この写真は、老人博士が亡き妻のアンドロイドを作り、頭をすっぽりはめ込んでいるシーンだとばかり思っていたのですが、全く違います。
そういうファンタジーではありません。
監督はミヒャエル・ハネケ
鈴木プロデューサーからは「ミヒャさん」とよばれる、言わずもがなの大巨匠……。
おっと、写真を間違えた。
こっちですね。
似てるからいつも宮崎駿と間違えてしまうのですが、多分インスパイアされているんだと思います。
ミヒャエル・ハネケ監督。
この映画、ほとんど家の中だけのシーンで、密室劇と言う意味では、三谷幸喜の影響もすくなからずうけているでしょう。
おいなんだよ〜三谷かよ〜、俺パス。
と言う方もご安心。
この映画、
カンヌで上映され、パルム・ドールを受賞しているのです!!
坂元パルムの人形ってことではないよ。
どう?観たくなった?権威主義者の君。
老夫婦の話なのですが、奥さん(アンヌ)の方が手術の後遺症で右半身に麻痺をわずらい不自由になり、「病院にはもどりたくない」という奥さんの要望に添う形で旦那(ジョルジュ)が自宅介護する、、というただそれだけの話です。
ミヒャエル・ハネケの作品はどれもかしこも、いい気分では観られません。
いやな気分になりたい時は、ハネケの映画か、じじいの玉金か、エロければ良いと思っている現代アートを見ればよい、と言われる程です。
性格悪いのか、むしろ良いのか。
ただ、この映画はそういうった志向とは少し違い、「俺ジジイになっちまった、どうしよう、死ぬかも」、といったハネケのペーソスがにじみでているようで、表現方法はクールなのですが、叙情的でもありました。
目を覆いたくなる様なシーンはありません。
ただ、じっと二人を見つめている、そんな映画。
また、かわいらしい老夫婦なんです。
もう、この夫婦が崩れていく事を見るのが悲しいのか、なんなのかわかりませんが、最初から泣きそうになります。
冒頭から、ずっといいです。
まず、この手の映画の場合、ボケ始めのシーンに監督の演出力が問われるわけですが、これが素晴らしい。
アンヌがぼーっとして無反応になり、心配した旦那のジョルジュが水を濡らしたタオルを首元に付けてあげるのですが、ジョルジュは焦ってるからか、蛇口の水を出しっ放し。
その水のノイズの耳障りな感じが不穏さをより醸し出している。
ファニーゲームでもありましたね。テレビのノイズがずっとうるさいシーンが。
こうやって、心理的に不快感を与えるわけです。。
「これ、水出しっ放しの方がよくね?」と言ったあと、プロデューサーが「出たよ、ハネケ節、また受賞、ごちそうさま」とか言いながら、ニヤリと顎を掻いている光景がありありと浮かんできます。知らねーけど。
で、病院かどっかに出かける支度をするためにダイニングを出てしばらくすると、水音が止まる。
客も、ジョルジュも同時に「あれ?」となる瞬間ね。
ジョルジュがカメラ越しに観客に向かって「水、止まったよね?」と語りかけてくるのではないかと思う程の、シンクロ率です。
ダイニングに戻ってみると、妻のアンヌが蛇口をしめて「水出しっ放しよ」と何事もなかったように大ボケをかますというオチ。
じつに美しい流れです。
そこから手術をして、失敗し、元気だったアンヌが、動けなくなり、車イス生活を余儀なくされる。本当に丁寧にその、不便な生活を淡々と見せていくわけです。妻はもう死にたいと言い、夫は馬鹿言うな、と言う。ドラマとかでよくあるけどさ、けど心のどこかでは、半分は本気なんだろうな、両者とも。老いてく妻を見る旦那のつらさって、計り知れないね。(女は旦那が死んでから元気なるとかいうけど)老人てのは寝たきりになると急激に、エナジーが減衰するからっという間に見た目も変わる。
他界した祖父も、1年前にあったとき、まだまだ元気だったけど、10月くらいに、足を悪くして入院し、一気に痩せて、死んでしまいました。
まるで別人。
あと10年は生きる、と豪語してたらしいですが、老人は動けなくなると本当にスピーディーに衰えていくのです。
もうね、死んでくだけの人間を、治る見込みのない人間を、ただただ看病するっていう、アートみたいな行為ってのは、これは続きませんよね。
だから、施設に預けたりするわけだけど、身内だとやってらんねーよって、なるんでしょうね。
アートなんて変人のやることだから、パンピーは金もらえなきゃやんねーよ。
ただ、もっと介護の状況ってえぐいんだと思うし、もっと急激にボケるし、笑っちゃうようなエピソードもたくさんあるわけです。
そういうつらさにまでは正直いかなかった。
映画のテイストを壊すくらいの破壊力が、老人のおとぼけぶりには潜んでいるわけ。
で、最後ジョルジュはアンヌを殺すわけだけど、う〜ん、もっと手に負えないくらいになって殺してもいいんじゃねーの?
って思ってしまったけど、ラストでアンヌが外出しようとしていて、ジョルジュに「40秒でしたくしな!!」と、促すシーンがあるわけだけど、(アンヌ死んでるからコレ幻想)、多分二人で天国に行くってことなんだと思う。
アンヌはジョルジュの殺人を許したんだろうね、というか、感謝すらしているのかも知れない。
何事もないようにしてるから、死んでからもまたボケ続行中なのかも知れないな。
ということで、まだまだ書きたい事が山のようにあるけれども、誰も読まないのに、こんなアートな事はやってられませんので、もう終わりにしますが、最後に、この映画には「鳩」が出てきます。
この鳩の捉え方がまた映画をより面白くしてくれるのでチェックしてみてね。
おそらく鳩を出す辺り、ジョン・ウーの影響を受けているのだと思います。
他の作品でも鳩が出てきた記憶あり。
しかし、色んな人の影響が垣間見える監督だな!!!
点数は辛めの98/100点!!
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