ふと書きたくなった。寝たいのに。
ただ今京都におります。
金閣寺とか、銀閣寺とか、よそ者をに意地悪だとか、湯葉だとか八つ橋だとかお麩だとか、あと、、寺とか、でお馴染みの京都です。
仕事です。
ふと思い出した話。
あまりにも個人的な話なんだけれど(ブログってそういうもんだよね)、寝る前に、麩と、じゃなくて、ふと、書きたくなった。
たいしたことじゃない。
昔、一般開園される前の東京ディズニーシーであそべるという、特別なチケットを貰ったので、年の離れた弟と一緒に遊びに行ったときのこと。
すごい淡い記憶なんだけど、たまにその事を思い出す
何に乗ったとか、どこを回ったとか、あんまり覚えてないんだけれど、ひとつだけ鮮明に覚えている事がある。
僕はその時の彼女だか好きな子だかににお土産を買ってあげたいから、混雑する中、弟を外に一人置き去りにして、お土産を探していた。
「すぐ戻るからここで待ってて」そんなことを言ったと思う。
結局なかなかいいお土産が見つからず、かなりの時間が経ってしまった。
必死だったし、性格も優柔不断だから、焦りながらも粘って物色していたのだろう。
戻った時、弟は泣くのをこらえて、言われた通りずっとその場に立っていた。
なぜだろう。
その光景だけは、今でも色あせない。
ただただ、申し訳なくて、どうしたらいいのかわからなかった。
かわいそうだった。寂しい思いをさせてつらくなった。
もしタイムマシンがあったら、あの時に戻って、もう一度新しく出来たディズニーシー
で<ちゃんと>遊びたい。
けれどそれはもうかなわない。その事を考えると、喉の奥が詰まる。
弟は絶対に覚えてないと思う。どうでもいい他愛のない記憶だ。
けれど、あの時、あの場所で弟は必死だった。不安と戦いながらずっと僕を待っていた。
どうしたら償えるんだろう。
そんなこともあったな、ってどうして言えないんだろう。
そういうことってありますよね?
覚えてなきゃいけないことにかぎって、忘れている。
多分この話は、いつぞやにどこかに書いたかもしれない。
思い出す度に、胸が苦しくなり、たまにこうして書くんだと思う。
誰に読んで欲しいわけじゃなんだけどさ。
先日、天才歌人の枡野さんが滅多にやられることのないという、詩の朗読のイベント
枡野浩一のポエトリーリーディングパウンディングパーティー『ガムテープ貼って寝たけど二十歳から二十七年治らない風邪』
で、僕らは詩に因んだコントをやらせていただきました。
普段は見る事の出来ない、枡野さんのゆかりのゲスト陣の中に、にがウーロンを入れて下さったのです!!
僕らはまぁ、ややうけでしたが(ネタがそういうのだからね!)
冒頭、枡野さんが自分の子供に向けた歌が素晴らしかった。
枡野さんと、お子さんの微妙な距離感をとあるモチーフで語る、その切り口が気持ちよかった。僕もいつか使いたいと思っていたモチーフ。
枡野さんの独特な語り口も本当に素晴らしかった。
枡野さんは、お子さんにはあまり会われてないらしい。色々な事情があるようだ。
けどその詩の中には、子供への愛情と申し訳なさで満ちていた。
そして僕は、聴きながら、弟のことを思い出していた。
泣きべそをかいて、不安げに辺りを見回す弟の顔を。
僕の場合は、それが子供ではなく弟だった。
いまだに、あの時が、あのまま、向かえを待っている。
僕は途方に暮れながらも、多分忘れたくないんだと思う。
ずっと待っていて欲しいんだと思う。
忘れてしまっては、やり直すチャンスも与えられないから。
やり直すったて、作品を作りつづけることしかできないのだけれど。
多分、枡野さんもそうなんじゃないかな、、、とか勝手に推測してみる。
おやすみなさい。