酷評シネマ「デスノート」〜僕はキラじゃない!!!
今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉
アントニオ猪木、あんを臭う。
という駄洒落を思いつき、キョンシーが来ても息をとめてその場をしのげるくらいの男であることを証明したシーズン野田です。
冒頭からかっとばしましたが、久々に更新です。
さて、本当に忙しいときは、逆に「暇だなぁ〜」ということにしています。じゃないと無理できないし、周りに気を使わせるので。
あ〜しかし、暇だなぁ〜。
暇過ぎて、更新を怠りました。
ブログを書く理由の一つに、頭の中を整理するという目的があります。
日々思った事や、感じた事に意味を与える作業とでもいいましょうか、
日常化され流動化する事柄を、言葉化することでテゴライズ化し、脳の抽き出しにアーカイブ化するのです。
化が多いのも、僕の頭が化化してるんだと思います。
化の化け物だと思っていただいて構いません。
ここまで書いて、何がなんだかさっぱり化状態ですが、とにかく、なんでもないようなことが幸せだったと思うようなことをある程度断定的に言葉にすると、もやっとしたことに位置が与えられるので、頭が整理されるのです。
そして僕が今整理して起きたい事は
藤原竜也に似ていると言われることです。
多分人間生きていれば、誰かしらに似ていると言われることが一度はあるのではないかと思います。
うじきつよしは大江千里に、大江千里はうじきつよしに、田原総一郎は安藤忠雄に、グッチ裕三がどーもくん似ていると言われているように、僕は本当に藤原竜也に似ていると言われる事が多いのです。
こう言うと、
「はい?あんたみたいなのが、私の藤原竜也様に似ているわけないじゃない!」
と憤怒するファンの方もいらしゃるかもやしれません。
「お前みたいなのに、投げる灰皿はないんだよ!!」
と蜷川幸雄なら怒鳴って、結果、灰皿を投げてくることでしょう。
けれど、先生聞いて下さい。
僕は全く似ているだなんて思っていないのです。
ただ、言われるのです。
言われて言われて仕方ないのです。
「お兄ちゃん、ほらあれ。あんたアレに似てるな」
と言葉をかけられる度に、
(どうせ藤原竜也なんだろうな…)
と自然と思っている自分がいる程です。
そんな自意識がいやでたまらないのです。
「あんた、藤原達也さんだね?私の友達のシーズン野田によく似ている」
と言われた時には、さすがに
「僕はキラじゃない!」
と思わず叫びました。
半端ないガッカリ度です。
勝手にがっかりされて藤原竜也も甚だ迷惑だろうと思いますが、なかなかどうして嬉しくないのです。
ジャイアント白田に似ていると言われるよりは微マシくらいなもんです。
けれども
「いや、藤原竜也には全く似てないよ」
と言われるのも、それはそれでなにか違うような気がします。
そもそも、僕が自分から似ていると言った覚えはありません。
周りが似ていると異口同音しているのだけなのです。
なのに、「似てない」と言われると、なんというか、告白してないのに勝手にフラれた気分になるのです。
本質的に「お前は不細工だ」と言われているのと一緒というか、
藤原竜也に“似ているありきの似ていない“は、ルール違反ではないかと。
「今から藤原竜也に似ている人がくるよ〜」
と盛り上がっている場所に出向く勇気は流石に持ち合わせていません。
彼の顔があんまり好きではないが故の(失礼!)似ていると言われる度に内発するガッカリ感と同様に、似ていないと言われる度に発生する憤った気持ちにもまた、目を背ける事ができないのです。
行き場のない、藤原の檻の中に捕らえられた気持ちです。
藤原檻中(フジワラノオリナカ)という、まるで良い句を詠めなそうな昔の人になった気分です。
他にも似ていると言われる人物がいないわけではありません。
劇団ひとりやバカリズムといった芸人に始まり、橋下徹やジャイアント白田と言った文化人に至るまで、さまざまな人物の「似ている狼煙」を上げられてきました。
ただそんな中、やはり圧倒的に藤原竜也が多いのです。
他1、藤原9の割合です。
僕はこの現象をフジキュウとよんでいますが、このフジキュウの威力は計り知れず、まるで乗り物が凄そうです。
自分はこの乗り物たちに全くのれずに、今日まで生きて来たのです。
自分的にはどう見比べても、言われる程には似ていない。
だから、藤原竜也に似ていると言われても“黙る”という、忸怩たる日々を過ごすしかなかったのです。
ですが、一つだけフジキュウを吹き飛ばすやり方がありました。
単純に、藤原竜也よりも似ていて、しかも威力のある人物を提示することです。
そして、この二つを兼ね備えた人物がいたのです。
それは、、
秋篠宮文仁親王です。
フジキュウには宮中しか手がありません。
藤原竜也に似ていると言われる度に秋篠宮文仁親王にも似ていると返すと、一気に話題がそれる程の威力です。
確かに効き目があるようでした。
以前、ものマネ王座のオーディションを受けたとき
「君誰かに似てるね」
とプロデューサーに言われた際
「秋篠宮文仁親王に似てると言われます」
返答すると
「それはテレビでは使えない」
と苦言を呈されました。
メディアも適わぬロイヤル感に勝る者など、この日本においては存在しないのです。
もし存在するとすれば、宗教くらいです。
宗教と言えば
上祐氏
にも似てると言われた事がありますが、これは余談です。
さて、ここまで書いて生まれたのは、俺は何を整理しようとしていたんだっけ?
と言う近過去への問いかけでした。
久々に更新して、何を書いているのだろうかと。相変わらずドメスティックで、何の実りもない内容をどうかお許し下さい。それこそ僕が子供の時欲しかったものは、読者諸君に生まれた<絶句>だったのかもしれません。
もしデスノーとを手に入れた暁には、まっさきに自分の名前を書き込みたいと思います。土下座。http://line.me/S/sticker/1037679