さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

「思ってて」現象とはなんなのか!!??業界を慄然とさせる必読の回!

お題「ついつい集めてしまうもの」

 

こちら、今日からはじまる深夜番組のオープニングです。

私イラスト担当しております。よかったら、ご覧下さい!!

www.y

 

しかしまぁ

 

世の中馬鹿なヤツが多い!

 

とか嘆いているおりこうさんがいるけど、

 

その馬鹿の中にお前も含まれるよ、

 

ってついつい思う事が多いシーズン野田です。

まるで他人事なんだよな、その発言。

 

ちなみに、自分は含まれていません。

 

 

 

 

 

さて、このブログ、たまに批判されたりもします。

 

 

 

まず、理由は二つあると思ってて、一つは軽卒さ。

 

正直、食器洗い器にお皿をぶち込むように、かなり雑に、そしてなんとなく書いています。まぁ、あくまでも自分の頭の中を整理するために書き連ねているにすぎないと、思ってて。

むろん、どこぞの市議会議員みたいに「同性愛は病気だ」なんてことは、例え思ってても言いません(思ってませんけど)。それでもちょこちょこイヤミを言われたり、叱責されたりするわけです。

こないだ、東京五輪のエンブレムのパクリ騒動をブログでネタにした時も、

「イタいことになってるけど大丈夫?」といった小言を言われ、ちょっとした口論になりましたが(お恥ずかしい)、元を辿れば、あれも僕の軽卒さが引き起こした事なんだと思います。おそらく、広告デザイン界隈の人間がなにかしらで気分を害したのでしょう。まぁ、いくら読み返しても真っ当な事を言ってますけどね。自分は擁護派だし。ネタにする事自体が駄目なんですね。

 

こないだ上映され、自分が脚本を担当した「テラーオブハウス」というタイトルの映画も、その「軽卒さ」故に、ちょっとした問題になりました。タイトルを「ケイソツ/映画」に変えようかと思いましたが、それはそれで、お達しが来そうでやめました。

 

とにかく、道行く外人に「ジャパニーズ、ケーソツ!」とつばをかけられることがあるくらい、僕の軽率さは折り紙つきなのですが、その軽率さがなければそもそもモノなんて作れない、とも、思っていて。所詮想像は想像でしかなく、やった事に対してしか、思慮を深める事なんてできないと、思っていて、軽率でもなんでもやることの方が重要なのではないかと、思っていて。まぁ、熟考した上でOKを出した行動が、結果、軽率に見られる事も多々あるとも、思っていて。

 

さて、もうひとつの理由は、、あれ、もう一つは、、、もう一つ、、、いろいろありすぎて、どれを書けばいいのやら。

理由は二つあると思ってて、なんてかっこつけて言っちゃったけれど、もっとあるじゃねーか。。。どうしよう。。。。

 

 

 

 

ということで、茶番はここまで。

 

 

 

 

勘の鋭い読者の方なら、ここまで読んでピンと来たことだろうと思います。

 

僕がここ数年ずっとひっかかっている事が、<二つ>込められているのです。

 

一つ目は

 

 

 

 

 

 

 

 

社会人って「思ってて」って言わね?ということです(もしくは「思っていて」)。

とりわけ、広告、営業系列の人種に多い気がします。

 

あーまた軽率な戯言を…と思う方もおられるでしょう。

 

もしくは「あ〜たしかに!」と思いたかった読者の方にとっては、チンプンカンプンでストレスを感じる方もおられるのではないかと思います。

 

がしかし、大学卒業後、社会に放り出された自分がまず最初に感じた事が、この「思ってて」現象なのです。

 

例えばちょっとした会議、何気ない会話の中でその「思ってて」は軽やかに発動されます。

 

僕が一緒に暮らして来たルームシェアメイトたちも、まぁ偏に広告業界の人たちでしたが、事程左様に「思っていて」な人種でした。

 

 

 

この話は、一回整理した方がいいと「思ってて」

自然の摂理には叶わないと「思ってて」

他人をコントロールしようとする人間はだめだと「思ってて」

ポケモンモンスターボールに入れるのはかわいそうだと「思ってて」

結局ダイハードが一番面白いと「思ってて」

 

 

というように、まるで語尾に「ゲス」を付ける江戸弁よろしく、語尾に「思っていて」を付けるので、ゲシュタルト崩壊を起こしたのです。

 

え?私、「思ってて」、って普通に使うんですけど、駄目ですか?

 

だって?

 

なるほど。

 

確かに、自分もこの事に気がつくまでは、無意識レベルでは使用していたかもしれない、何気ない言い回しです。意識し出してからも、使う人によっては気にならないこともあります。

 

では、この、気になる場合と、気にならない場合の差は一体なんなのか??

 

おそらく、本当に前から思っていた感じがしないときの「思ってて」に、違和感を覚えるのではないかと。

 

今「思ったこと」に、歴史的、時間的重みを加味し、説得力を増強させ、議論をより自分に優位に進めようとしてるマウント取りが「思ってて」に込められているのではないかと邪推してしまうのです。

 

「思ってて」、、というけれど、今急に<思った>んじゃないの??って。

 

「いやいや、シーズン野田さん、あんたそれは考え過ぎだって!そんなことより僕を探して!」

と、ウォーリーならばそう諭してくるでしょう。

 

 

 

 

 

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仰せの通り、自分の身方が穿っているんだとも思います。

 

しかし、その中に紛れ込んだ、ただの現在形が現在完了形に作りかえられ誕生した<真の思っててもどき>に関しては、僕はかなり敏感です

 

もう病気ですね。

 

思われニキビならぬ「思っててニキビ」が顔中凄い事になっています。

 

とりわけ業界の人に、妖怪「オモッテテン」が多いのも、いかに、責任を回避するか、優位に物事を運ぶか、といった、ポジショニングトークが横行するはったり産業だからではないか、と。

(極端に言えば)口八丁手八丁で、とりあえずクライアントを<握って>から考える、というかましの慣例がそこには存在しているのではないか、と。

 

 それが例え本当に文字通り前から「思っていた」としても、よりそれを強調する意味合いと、優位に立つための自意識が露見されるような感じがして、自分の場合ちょっとしたひっかかりになってしまうのです。。。

 

はい、自分の土俵に来ました、自分のターンです、とかまされた気分になるのです。

 

相手のリーゼントの先っぽが、自分のおでこにフェザータッチをしているような、くすぐったさというか。

 

自分は、その事に気がついてからは「思っていて」という言い方はしないようにしてます。

 

というか、そもそもそのような言い方をして来なかったんだと思います。

 

作品を作る事でしか、相手との対話方法がないものだから、普段のトークや立ち回りで優位に立とうとかそう言う事はほとんど考えません。

 

優位に立ちたい人がいるなら、どうぞどうぞと、むしろ目の前に手を差し伸べてあげて生きてきました。議論で勝つとか、そんなのは本当にどうでもいいのです。

 

だから逆に、「思っていて」に必要以上にひっかかってしまうのです。

 

もちろん、必要以上に意味付けしているだけ、だとも思うし(おそらく圧倒的に文字通り「思っていた」人の方が多いと思う)、そういう人種が多い中で仕事をしていたら、単純に言葉尻が似て来てしまうということだけ、なのかもかもしれません。

 

ただ、どっちにしろ、そういう物言いの人間が多いわけで、そういった牽制し合う文化が醸成しているんだと思います。

 

ちなみに、その業界外では、僕の知る限り、妖怪オモッテテンは存在しません。いるかもしれないけれど、思い当たらない、と思ってて。

 

 

 

 

そして、もう一つ気になる事があります。

 

 

 

それは、

 

社会人って、最初に問題点の個数を言わない??

ということです。

とりわけ、広告、営業系列の人種に多い気がします。

 

 

まず考えなきゃ行けない事が二つあって、、

 

みたいな言い回しです。

 

これが「思ってて」とダブルパンチで

 

まず考えなきゃ行けない事が二つあると<思ってて>、、

 

と、くると、もうお手上げです。

 

手を上げたままそこから立ち去りたくなります。

 

 

 

冒頭で、自分も試しに使ってみて思いましたが(記憶にない人は戻ってみてね)、問題点ってそんな単純に何個あるとか言えなくないですか?

 

おそらく、簡潔さ、明快さを提示し、相手の気持ちを早めに<握る>効果があるんだと思いますが、自分の場合、こういった言い回しをされると、物事ってそんなに単純なものなのかな?って思考がそこでストップしてしまうのです。

 

かといって、

 

まず考えなきゃ行けない事が67個あって、一つは…

 

何て始められたらもちろんうんざりするのですが、複合的に、多角的に観た場合、それこそ67個くらいあるんじゃないの?

 

なんとなく、個数を言われるとそんな気もしてくるのがうまいのですが、そのテンプレートに気がついた時に、「思ってて」と一緒で、どうしても身構えてしまうのです。

 

もちろん社会人というのは、牽制しながら戦い続けていく戦闘民族なので、その事自体を批判しているわけではないし、むしろ僕にはできない芸当なので、凄いなぁ…と思うのですが、その時点ですくなくとも僕の心は本題からはそれています。

 

ですから、僕はこの世の中のありとあらゆる会議という会議において、どうしても集中できず、内容が頭に入ってきません。

 

その社会人用語というか、独特な言葉の営みみたいなものがどうしても気になるのです。病的に。

 

多分飲み込まれないようにしてるのかもしれません。出来るだけニュートラルにしていようと無意識で思っているんでしょう。

 

ギャル男やビーボーイ、アッパー系、メンヘラー、オタクなど、いろいろな種族がおりますが、なるべくカテゴライズされずにいようとすると、その文化の変遷みたいなものを俯瞰で見てしまう癖が染み付いている、、のかも。

 

まぁ、内容が頭に入ってないから、後日「あれ、そんなこといってたっけ?」というようなことを口走り、怒られます。

 

怒られるのはいやなので、最近は覚えてるフリをするのですが、正直内心焦っています。

 

 

 

ちなみに、メンバーの角田は<握る>という言い回しが気になるらしく、僕はけっこう使います。

 

僕もそうやって、誰かに思考停止を促しているのだとしたら、どっこいどっこいですね。

 

どっこいどっこいと言う言い回しが気になる人がいたら、ごめんなさい。

 

 

 

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