mr.childrenとの関係 シーズン野田
まず、もの凄いタイトルから出発しました。
断っておきたいのは、このブログは
シーズン野田が書きたい事も
書きたくない事も自由に書くというブログです。
けっして、にがウーロンのブログではありません。
とても個人的なブログなので、シーズン野田を名乗るより、
本名の瑠璃川茂之のを名乗った方がいいかもしれません。
さて、戯言はこれくらいにしてですね。
知ってますか?
ミスチルのベストアルバムが発売された事。
ちなみに私がツイッターでこの問いかけした際に反応した人は誰もいません。0人です。
いつだったか
「小鳩をたくさん集めてミキサーにかけ、それを丸めて大鳩にした事のある人」
がいるかをツイッターで聞いてみた際も0人だったので、
現状では
<ミスチルのベストを買った人数>
=(イコール)
<小鳩をたくさん集めてミキサーにかけ、それを丸めて大鳩にした事のある人の数>
になっています。
しかも
<毛ジラミを退治する為にチンゲを燃やした人>
を一人知っているので、それよりも少ない計算になるのです。
正直、昔はもっとミスチルの話で盛り上がれましたが、最近は全く周囲に聞く人がおりませんで、少し寂しいです。
だからこのブログを読む方々なんて、どうせクラシックばかり拝聴するカスインテリたちばかりだろうから
ミスチルの事なんて書きたくもないのですが、
逆に書いてやろうと急に思い立ちました。
急に思い立って、起業する人もいれば、
村上春樹みたいに小説を書き始める人もいる中で、
わたくし瑠璃川のスケールでは、、
ミスチルの事をブログに書く
が精一杯です。
今まで書くまいと思っていた自分へのタブーを侵し、
ミスチル20周年という大義を振りかざすことしかできない小市民です。
そうそう言っておきますがミスチルは今年で20周年なんです。
凄くないですか?
その間ずっとトップって。
売れてるか売れてないかで言えば、売れていると言っていいでしょう。
けれども、周りにはいない。
CDはめちゃ売れる(らしい)。
この温度差に私は近場のタワレコに本当に売れているのか確認しにいきました。
タワレコの出入り口の所にいきなりミスチル特集されていました。
そして、来る人来る人カップルから親子連れまで様々な層が片面一層のCDを買っていきました。
確かに売れていました。
つまりこういう事になります。
ミスチルを聞いているのは、わたくし瑠璃川の知らない多くの人たちという事になります。
私は自分の知らない人間を基本
「カス」
だと思う偏屈者なので、
カスの聴く音楽がミスチルという事になります。
という事はそんな私もカスになってしまいます。
つまり
「瑠璃川=カス」
という方程式が出来上がってしまうのです。
けれどもこの世の中では
「瑠璃川は一番偉い」
ので、どうしても矛盾が発生するのです。
この矛盾を
「エッシャーのあの滝の水のあの絵理論」
と呼んでいます。
さて、ここまでずーっとずーっと戯言を書き連ねてきましたが、
なぜミスチルがこれほど愛され続けているのか?
起伏の激しい曲調にオリジナリティーを感じるから?
まぁそれもありますね。
詩の世界が、小難しそうだけど、ちゃんといい事を言っている気がするギリギリを責めている。
まぁそれもあります。
アレンジ。
まぁそれもあるでしょう。
けれども一番重要なファクターは何なのか?
それは
桜井さんの「声!」
に他なりません。
あのくせのあるあの、フリーザのようなポロリのようなトレッパーのような(声優全部一緒!)声が、多くの人を魅了しているのです。
世の中マーケティングばかりして、皆に受けそうな物ばかり作って、なだらなかで、誰にでもやさしい無害で右から左のものばかりが横行している昨今ですが、ふたを開けてみて下さい。
本当に人気の出る物はかならず「くせ」があるのです。
あの声こそがミスチルにとって、唯一無二のクセなのです。
このくせこそがらしさなのです。
ですからミスチルはあたりさわりのない俗物であるいう批判は的をはずしています。
もっというなら、人気者ほどロックです。
ロックはスタイルじゃありませんよ。
言っておきますが、クセがあるから売れるのではない。
クセがあるのに、わかりやすいから売れる。
これですね。
なのに最初っからクセをとろうとするからだめなのです。
クセを生かさないとね。
ケツ犬なんてクセの塊じゃないですか!
だからあれほど売れるんです。
さて、われわれもそんな存在になる為に日夜頑張っていこうと思い今度ライブします。
いつかミスチルと仕事がしたいです。