さておかれる冗談

脚本家でイラストレーターのシーズン野田が綴る「活字ラジオ」。たまに映画を酷評し気を紛らわす悪趣味を披露してます。http://nigaoolong.com/index.html

酷評シネマ「そして父になる」その2

さて、間があきましたが、予告通り「そして父になる」を題材に、映画と言うジャンルの本質に迫り、世の中の膿みをあぶり出し、マチャアキとヒロミの共演を祝福したいと思います。

二回にワタリこの映画を語るのもどうかと思いますが、マチャアキとヒロミが再び共演を果たした今、取り上げないわけにはいきません。

前回はキャスティングの事でほとんど終わってしまいましたが、今回は映画の内容について触れたいと思います。

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この映画一言で言うと、是枝監督らしい、「事実を拝借しました系ムービー」。

 

 

 

子供の取り違え事件をベースにしています。

 




まず、タイトルにひっかかっています。

最初僕は、中学生達が思春期の悩みを語りながら、「大人に何てなりたくない」という気持ちと「早く大人になりたい」という気持ちをこじらせる様を、ゲストの元中学生と称された大人がファシリテーターとして、議論をまとめる「しゃべり場」的な内容かと思ったのですが、ふたを開ければ、堺正章がゲストと一緒に楽しく料理をする番組であると知り、

「チューボー」ってそっちの意味かよ!

とテレビに向かってつっこんだのを覚えています。

「中坊」ではなく、「厨房」の方だったのです。

自虐的に中学生が「所詮僕らなんて、チューボーですよ…」と吐露する姿が拝めるかと思ったのですが、がっかりしました。。。

 

 

 

 

 

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あれ?


じゃなくて、今回は「そして父になる」の話でしたね。。どこで「チューボーですよ」の話になったのか。


そうそう、この映画のタイトルがまずひっかかるという話をしたいのでした。



ここでいう「父」っておそらく野々宮(福山雅治)の事ですよね。

最終的に野々宮が、父としての自覚を持つという意味合いなのでしょうが、「父になる」ってのは、本人の自覚とかそういう気持ちの問題ではなくて、子供がいると言う「事実」が父にさせるのではないかと、まずそこにつっかかりたい。大して思ってないけどつっかかりたい。

野々宮がケイタを育てながらもそこに距離を感じていたのは、ケイタが"実の子"ではないからではなく、あくまでも野々宮の資質の問題なわけです。できのあまりいいとは言えない我が子に対しての苛立ちを感じてしまう、そういう男なだけです。

実は違う血筋の子供だった事実は後で判明するわけで、そのことをずっと知らないで育てているわけだしね。

だから、一緒にお風呂に入らなかったり、箸の持ち方にうるさかったりという、厳しい教育方針の父親というだけで、そういう父親は父親ではないのか?

と、おもうてしまいます。

取り違えられた実の息子が育った家庭は、ビンボーで粗雑だけど柔軟で、わりと自由な家庭で、父親役のリリーフランキー(齋木)が、野々宮と対比的に描かれ、両者もめたりしながらも交流を交えていく事で、子供に対して寛容になっていく。

その様子はいいのですが、柔軟になれたがゆえに「そして父になる」分けじゃないだろう?

ですので、「そして父になる」っていうタイトルはまず変更して

「そして柔軟になる」に変えていただきたい。



確かに、多くの欠陥がある男だろうし、もっと柔軟でもいいだろうよと思うのですが、だいたいの父親が欠陥だらけのじゃないですか。

うちの父親なんて、札束の入っていない風呂で、将来札束だらけになるのを見越して、ばらまく練習をする程の夢想家で、借金は2億円ありますが、おかまいなしで生きています。

ろくでもない父親ですが、父親であることには変わりません。

其れに比べれば、この野々宮は大部マシです。


だいたい、

マチャアキは料理がうまいんだか、うまくないんだか、スタンスが未だによくわからないんだよね。Mr.隠し芸だから器用だろうし、上手にやりそうなんだけれど、今ひとつ料理に対しての造詣が伺えず、いつももやもやするんだよな。

 

 

 

 

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あれ?

 

 

今また「チューボーですよ」の話にならなかった?

 

気のせいか。

 

で、一番気になるのが、

福山雅治(野々宮良多役)の築いた家庭は、お金に余裕がアリ、こどもは英才教育。

けれどもどこか「冷たい」印象。

がしかし、取り違えられた本当の子供は、質素な家庭で育てられている。だけど何だか「温かい」。

という対比ね。

結局、今まで育ててきたケイタも、本当の子供であるリュウセイも、リリーフランキーの家がいい!!って言い出す始末。


子供は、甘い親の方がいいに決まっているじゃないですか。


これって、根本的に、子供の取り違え事件を扱う必然性ってあるのかな。

 

しかも、「星3つ!」だと嬉しそうなマチャアキを見る度、星の数でギャラが変わるのかよと、妙に冷めてしまうのは俺だけかな。

 

ただ、色々言ったけれど、最後のシーンは良かったね。

野々宮が、向かいの道のケイタに歩きながら謝るんだけれど、ケイタは、野々宮を無視しながらずんずん進んでいく。二人の間には、垣根がある。

けれども、道が一つに交わる所で、両者が出会うというベタな演出ではあるんだけれど、星2つ半くらい上げてもいいかな。

 

なんとかいい方向に両者向かいそうな気配というか、久々に息のあった掛け合いを見ていると、再び「あるある大辞典」が復活するんじゃないか?という、期待をさせてくれるしね。

 

 

 

 

 

 

 

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ヒロミおかえり!

 


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