酷評シネマ「君と歩く世界」
東海林のり子、障子をノリで張り替える
という駄洒落を思いつき、誰でも思いつく駄洒落だが意外に誰も口にした事がないのでは?
と、まるでいいところ突いた気でいるシーズン野田です。
最近は映画を批評するブログなんてのをやっておりますが、同居人から、
「もっと読んだ人の身になるよーな、持ち帰る事のできるよーな批評をしろ!!」と怒られました。
まぁ彼の場合、ピンサロ嬢にも
「身になるよーな、持ち帰る事のできるよーなプレイをしろ!あーいく!」
と怒鳴っているので、誰にでも同じ事を言うのだと思うのですが、皆さん、
そんなに読んでいて身になりませんか?
そもそも、身になるかどうかってのは、読む人の姿勢の問題じゃないかと思うわけです。
ドッジ弾平でも読む人が読めば、「お〜!アックスショットの様な人生を送りたい〜!」となるわけだし、彦摩呂のグルメリポートだって、観る人が観れば、出家するくらいの内容だと思うんです。
我々彦摩呂サイドとしては、ただそのきっかけを与えているにすぎません。
誰が彦摩呂サイドじゃ(セルフつっこみ)。
とはいえ、さらなる進化と成長をもとめるシーズン野田なわけだし、彦摩呂みたいにぶくぶく醜く太っていくだけの怠惰ではだめだという自制の気持ちくらいは持ち合わせておりますので、指摘は素直に受け止めます。
ただ、残念なことに、これ以上、映画から何かを導きだすポテンシャルは自分にはありませんので、期待しないでください。
トップブリーダーなのに、ペディグリーチャムを推奨せずに、ほねっこを推奨してしまうような間違った事しかおそらく言わないと思います。
さて、ということで、今日の「ミマクロード・ヴァンダム」映画はこちら!
「君と歩く世界」
この映画とにかくびっくりします。
タイトルからも察するように、最初は、<健常者が抱く障害者に対する勝手なイメージとサンクチュアリ>がもたらす絶望からの再生を24時間テレビ的偽善ベースので描きつつ、なんとなく美しい風景と切断された両足の撮り方の妙でお茶を濁しているクソバカお涙頂戴映画だろうと勝手に思いこんでおりました。
シャチに両足を食われ、絶望に打ちひしがれている女性を、恋人の男が
「僕が君の足になるから」
とかなんとか言って励ましながら背負って、なんとか希望を取り戻した矢先に最高の義足ができて、走れるようになって、またシャチに乗れちゃうくらいまでになって、再び足を食われそうになったら、「もう義足なんですけど〜シャチうける〜」とか言って照れ隠しして終わるのかな〜となんとなく予想しておりました。
ツタヤのポップにも<絶望から希望を見いだす感動作>的なことがしれっと書いてあったので、こりゃあ、酷評してやろう!!
とわくわくして観ていたのですが、どうやら…そういう映画ではないようなんです…。
そういう映画を観たくて借りた人は、さぞ憤怒するでしょう。
鬼だったら、棍棒を担いで配給会社の若い女性を片っ端からさらって、自分の子供を孕ませて行くと思います。
たけし軍団だったら、襲撃するのではないでしょうか。
あらすじとしては、
南仏の観光施設でシャチの調教師をしているステファニー(マリオン・コティヤール)は、ショーの最中に事故に遭い、両脚の膝から下を失ってしまう。 失意の 彼女を支えたのは、不器用なシングルファーザーのアリ(マティアス・スーナールツ)だった。粗野だが哀れみの目を向けずフランクに接してくる彼と交流を重 ねるうちに、ステファニーは次第に生きる希望を取り戻していく。
と丸丸引用しましたが、
<<粗野だが哀れみの目を向けずフランクに接してくる彼>>
部分に大部違和感があるのです。
粗野というか、もうただのクソバカ野郎じゃねーかっていう。
しかも途中で改心するのかな?とある程度予想して観ていくのですが、最後の方までクソバカっていう。
もうその駄目さ、彦摩呂級です。
親として誇れたものではありません。
鉄拳だったら「こんな親父は、巻きグソの風下に常にいて臭がれ」というタイトルでネタを作りそうな程のだめっぷり。
「子供のためにとはいえ、万引きはする」
「セックスフレンドと、セックスをしているせいで、保育園に子供を迎えに行くのを遅れる」
「泣き止まない我が子をうんざりだ!と放り投げ怪我をさせる」
「違法の監視カメラをつける仕事をして、見つかって、逆切れして、女に襲いかかろうとする」
「お世話になっている姉をぶん殴ろうとして、その旦那に、猟銃を向け追い出される。しかも子供置いてく」
ほかにも色々あるわけですが、とにかく、思っていた主人公像と違うわけです。
この話のキモは、両足を失ったマリオン・コティヤールであり、彼女の再生がキモかと思っていたのですが、こちらは一要素でしかありませんでした。
シャチに足を食われ、両足を失う絶望にいた彼女を、主人公と出会う事で救済されるという構造自体は予想通りなのですが、それが主人公の献身的な努力の賜物とかのではなく、足とか別になくてもセックスできればどうでもいいっていう主人公の単細胞っぷりが、彼女を救済していくだけなのです。
マリオン・コティヤールも「あの人やさしい」とか、バカな事言ってんだけど、ちがうの。
ただの単細胞なの。
しかも、セックスと格闘技が趣味って言う、単細胞なら網羅しなければならない項目全てにチェック済み。
両足がないのに海で泳ぐことをすすめたり、両足がないのにやりたくなったら連絡しろとか躊躇なく平然と言ってみたりと、確実に自分の大切にしているクライアントには会わせたくない男です。
そろそろ心情に変化があるかな?いい人になる一面がちらっと出るかな??……と期待したところで、セックスと格闘技のおかげで台無しになる。
なかなか観客にカタルシスを与えない。
その作りのせいで、この映画に対して「理解できない!」とか、「観ていて不愉快」とかいう、女、子供が湧き出るのが目に見えるわけですが、むしろそれこそがこの映画の評価されるべき所なのです。
両足を失うと言う、絶望レベルを救うのは、肉体的な歓喜であり、それがセックスであり格闘技の躍動である。
泥にまみれて血を流し格闘する彼の姿に、両足がないとかそんなの一切おかまいなくチンポを入れてくる彼の性豪っぷりに、彼女は翻弄され、生きる実感を取り戻し始めるわけです。
卑屈になってしまった「私」が立ち上がるには、献身的な努力で気を使ってもらう事ではない、泣いてもらうことではないのです。
「愛が地球を救う」だ?バカタレ!
とこの映画は一喝しています。
甘ったるい邦画に慣れたクソバカやろうどもは、観ていてそりゃ不愉快になるでしょうな。
自分もその例外ではなかった。
こうなるだろ、こうなっていくだろう、がことごとくならないんだからね。
格闘技とかセックスとかやめて、本当の愛に気がつくのかな?って思わせ続けて、摩擦ゼロのまま終わっていく。
この映画、最後がまぁすごい。
久々に会った子供と一緒に冬場の凍った湖の上で、親子のスキンシップを楽しんでいるシーン。
主人公が立ち小便して目を離している隙に、子供が氷の割れた所から湖の中に落下!!(ここに関しては、多分落ちるだろうな、っていうのが丸わかりなんだけど)。
もう、最後の最後まで粗野なバカクソ親父ザッツライト!なのですが、足下の氷に子供の名前を叫びながら、目を凝らし探していると、氷の向こうに子供がぷかっと浮かんでいるのがわかる(絵的にもとても美しいく、神秘的)。
慌てて氷をパンチしまくって、何とか割ろうとするが、なかなか割れない。
もう、早く助けてあげて!!監督!!オッケーだしてあげて〜!!と、観てるこっちも手に汗を握る、ゴリラだったら手にウンコを握るシーンです。
氷の上は親父の激しい殴打のおかげで、もう血まみれ。拳は骨折しまくり!
でまぁ、何とか氷が割れて、冷たくなった子供を抱き上げて病院に向かう。
ようやく子供の死に直面して、自分はなんて愚かだったのだろうと反省するのかな…と思いきや……
子供は無事生還し、骨折のおかげで拳がさらに強くなり、より凶暴なファイターとして名を轟かせるというまさかの展開!!
ワオ!!!!
ハリウッド的に悲劇を起こして、主人公に変化をもたらすと言う展開に、少しがっかりしていた矢先だったので、サイコーな気分になりました。
とまぁ、色々言っておりますが、思わず泣けそうになるシーンもあります。
海と砂浜があまりに美しく、コントラストの強い絵作りなんかは、女性の影と、男の陽的な単細胞っぷりがしっかり現れているよう。
車いすごと女性を担いで海へ行くシーンなんて、思わず泣きそうになります。
だから、そんなに感動のスペクタクルみたいな煽りにだまされてみなければ、良い映画だと思うんだけどね。
邦題が「君と歩く世界」とか騙す気満々の<詐欺やり邦題>なので、そこはやっぱり評価できません。
「肉体万歳」「格闘やろうバカ一代」「足なしおばさん」のどれかにしてほしい。
あと、切断された足は、どうやって撮るのかなぁと思っていたのですが、CGでうまいこと消してけっこうしっかりと見せていました。
あまり映さない演出になるだろうと思っていたので、これまた意外。
ということで、98点くらいはあげてもいいかな。